japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

Runnners Village! 20190717 20分 day1

Runnners Villageの研修に先月参加したことを記念して、
一ヶ月経ってしまいましたが、今後走ろうと思います。

 

今後こちらで記録することで、継続の糧にしていきます!

参照

インスタ

www.instagram.com

 

 

 ウェブサイト

runtrip.jp


Facebook

https://www.facebook.com/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8Runners-Village-156928718469879/?__tn__=HHH-R

「本当に人口減少は悪いの??? 〜2019712地域懇談会に参加して〜」

過日地域懇談会なるものに参加した。

 

相双地域の相馬郡3名双葉郡3名の双葉郡の中の1人が私だった。

 

 

ビビった。

 

けど、ご指名を受けたので、恥をしのんで参加した。

 

目的としては、

福島県の新たな計画のための意見を聞くことだった。

 

私は、川内村の、いわなの郷で働いていることが一つのアイデンティティなので、長靴に、いわなの郷Tシャツ、いつもの作業ズボンという

私の正装で参加した。

 

 

その中で時間を超過して話もさせて頂いたが、最大のポイントとしたのは実は

 

本当に人口減少は悪いの???

 

ということ。

 

 

地方創生の議論の中で、当たり前のように

人口がこのまま減ったら大変なことになる!

と言われている。

 

それって本当なの???

 

ってずっと思ってきた。
 
 
 
 
素人だからそういうことが言えるわけだ。

だから、知らないって強い
とも言えるけど、
そもそもを疑う大切さは持ち合わせたい。


なぜそう感じていたかって?
私が生まれた1975年だったはず、
ローマクラブが、このまま世界人口が増えたら世界は滅びる!という趣旨のことを発表された。

調べればわかることだが、この当時30〜40億人ほどの世界人口で、今から比べれば半分以下だった。

主に人口に見合う食糧生産ができないという意味の理由だった。

 

背景として、核戦争がいつ起こってもおかしくない米ソ冷戦下なので、

ローマクラブは核戦争での地球滅亡を意識した発信もしていても、

地球滅亡までのあと何分というような時計で表現もしていた。

 

その頃は人口が増えたら危険と言いながら、

最近になって、人口が減ったら危険?

 

おかしくね???

 

それが

そもそもの はじまり。

 

 

 

 

で、

県の職員の皆さんは答える義理はないけど、わからなそうな反応。

多忙なので仕方ないかもしれないけど、思考停止だよね。

 

 

 

先日の結城登美雄氏の話。

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

明治維新の頃、全国に、村が7万、人口で3500万人前後。

江戸時代はそれでまわっていた。

 

明治の富国強兵で、人口が増える。

第2次世界大戦(=大東亜戦争)では「1億総◯◯」のスローガンでわかるように、
人口も今と同じくらいに増えた。

最も小さい単位が、今の住所で「小字」で、60〜70人ほどの集落を作る。
それらが一緒になって、「大字」になる。
その大字が一つになって「村」になる。

 

 

その当時に戻っていけばいいんじゃないの?

経済が今後右肩上がりになるとは、絶対と言っていいほどない!

だったら、

昔のように生きてもいいんじゃないかな。

もちろん、

電気も車もない生活はできないけど、

今より贅沢を減らせばいいんじゃないかな?

 

 

 

さらに推測すれば、

500年前からの植民地による搾取が、

帝国主義を経て、

戦後、企業による搾取の時代になったとみれば、

人口が減って困るのは大企業だ。

今の地方創生の流れ、人口減少は危険だという思想は大企業の論理だ!

つまり、今後も搾取を続けるための一方策とも言える。

 

その一つの証左が、世界中で貧富の差が拡大している。

今年はじめのニュースでは、

世界の大金持ち8人の資産と世界人口半分の約36億人の資産が同じだっていう!

ホント日本人がその中にいなくて良かったと思ったのを思い出す。

今後も搾取を続けたい一部の人間の言いなりを続けていくのだろうか?

 

 

 

ソースはこちら

 

www.mag2.com

2年前の話でしたね。

 

 

別の見方をすれば、人口が減って困るのは地方公共団体
県や市町村。
大卒の半分以上が公務員志望の現代。
ますます、公務員が減ったらたまらん。
若い人が民間で頑張ろうと思わなくなっているのも悲しい。

県や市町村の税収が減らないでほしいということか。

 

あるいは商売は人が多い方がいい。

企業を進める今の流れをとどめないためか???

 

 

意見が通るかどうかというよりも、思考停止の現実に気づいてほしいなと思う。

ぜひご自身でお調べください。

 

 

 

 

 

 

「面白い!〜こうふく通信取材から❶〜」

 

 

昨日はこうふく通信(高校生が伝えるふくしま食べる通信)が

私の職場・いわなの郷の取材があった。

 

楽しい時間だった。

 

若さは力だなあ

なんて

思うのは歳をとった証拠だ。

 

私は若い頃苦しいことしかなかったから、

若い頃に戻りたいなんて思わないけど、

これからの若い人には大いに活躍してほしいと願う。

それは

嫉妬深い私でも。

 

枕はこのくらいにして、

食べる通信との出会いは私にとってはデカかった!

 

 

 

2015年8月

郡山での車座座談会は衝撃だった。

参加してなかったら、今ここに居ないと思う。

今にして思えば。

 

https://ameblo.jp/japan-energy-lab/entry-12065895700.html

ameblo.jp

 

 

いわなの郷20周年感謝祭第1弾、第2弾で

大ブーイングを受けて、

もうこんな村は出て行ってやろうと思いながらも、

やっとこさしがみついていた所だった。

 

高橋博之氏の話に引き込まれた後、

そうま食べ通の小幡さんが

「グランド降りてこい!」の言葉に

私の逃げ心をゆさぶられた。

 

その席で私は愚痴愚痴と話した一方で、

私以上に大変な状況下でも、

それぞれの立場で挑戦する

思いを披瀝する人々の話が

羨ましかった。

 

思い起こせば、

その当時始まっていた

こうふく通信の高校生も参加して

生き生きと自分の思いを話す姿に

嫉妬していたことも思い出す。

 

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その後、

同年11月の

感謝祭第3弾の日の夜に

川内村での車座が開かれ、

忘れられない思い出にもなった。

 

 

あの日の約束を本当に実行した博之さんの心意気に

涙むせぶ。

 

その後、

2017年そうま食べる通信取材を頂き、

前出の土編集長・小幡さんの最高傑作が出来上がった!

残念ながら、もはや手元には全て無くなってしまったが、

あの魂のこもった文章は

私にも大きな力を与えてくれた。

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

そして

令和を迎えた2019年

こうふく通信が取材に来るなんて、

ちょっと驚いたし、

なんだか申し訳ない気持ちにさえなったしまった。

 

でも、

裏腹に感激されている編集部の皆さんを見ると、

まだまだ私が卑下していたことも実感させられる。

 

ここ

川内村

いわなの郷の

魅力を

存分にアピールしたい!

 

 

段取りについてはずいぶんご迷惑をおかけした。

炭ません!

 

今また改めて思う。

何かすごいことをやる必要なんてない。

むしろ、今ここを楽しむだけでいい。

言い換えれば、

何をする(DO)でなく、どうあるか(BE)の方が大事だ。

 

進化するこうふく通信は

歴史に裏付けられている。

伝統が蓄積されている。

 

そうま食べ通のLEGENDトコさん

こうふく通信の元になったなった

あすびと福島出身のお二人とも出会えた。

 

どの一人欠けても

今がない現実に

ご縁以上の何かを感じるトコ。

 

聞けば

締切は1週間ほど。

定期試験も近い時期を考えると

俺だったらやりたくないことばかり。

 

でも、

それを手を挙げてやりたいと言った

若者は鍛えられるよね。

むしろ、笑顔でやり切っちゃったら、

面白くもなる。

 

いわゆるガンバリズムの最後の世代が

私はじめ40代。

それよりも楽しいことだったり、

喜びから始まったことが、

人を呼び、

さらなる喜び事を呼び、

楽しくなっていく。

 

それはきっと

これから訪れる時代の変化であると信じたい。

 

面白くなってきたぜ!

ってね。

 

「会話 〜3つの学びから〜」

 

 

 

以下の3つの学びの会に参加。

 

6.8   逆のものさし講 郡山市福島県

6.9・10 結城登美雄先生勉強会 川内村福島県

6.11・12  大地の再生 作業 愛知県新城市

この時のことを、まとめて書いてみる。

 

つまり、楽しました。

 

 

ちなみに

初回は仕事後に参加したが、
6.9〜12まで4連休を頂いた。
感謝です。
 
 

3つ目の大地の再生は、

フォレストガーデンを作る名目。

実際はその前段階に終始しているところもあるが、

ずっと作業だったが、これがまた学びだった。

 

こちらで度々話題にするコツ塾。

その塾長のたくちゃんのご実家での作業を手伝いに行った。

愛知県新城市

 

私の住む福島県川内村から 

車で行くと正味6時間。

途中休憩・仮眠含めて10時間の道中だった。

 


 

こちらでは最初庭の剪定を行う。

その際、

「植物と会話する」

なんていうのだ。

 

それってわかるとかわからないの次元を超えていて、

必死にそれっぽい事をするのみだった。

 

案の定?

切り過ぎてしまい注意を受ける。

 

風を入れて、水を流すようにすれば、

その植物にとっての最善の状態ができる。

それは場所や他の植物とのバランスもあって、

不要な枝は簡単に折れるのだという。

わかった気になってやって失敗したのだ。

 

会話 してなかったわけだ。

 

水の滞りは度々話題になる。
U字溝や土砂崩れ予防の堤?ができて、水の流れが変わった事で、

魚が住んでいた池も沼地になってしまったということもあった。

 

おどろくことばかりだった。 

 

 

たまたま、
帰宅してから、


逆のものさし講をされている清水店長から教わった

こちらの本を手に取る。

 

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たくちゃんもコツ塾の中で、二元論と一元論の話をされるが、

これも二元論を乗り越えることを、禅を通して書かれている。

 

そこには

 

「物との会話」があった。

 

おっとお!

 

植物との会話と一緒じゃないかあ!

 

 

ものと会話することで、 

感謝や足るを知るきっかけになるとの話もあった。

 

私自身で言えば、

効率的に行うことばかりを考えていたことに気づき反省。

早く終わらせよう・・・とばかり考えてた。


否、ゆっくりしたいけど、それさえもずっとできなかった。

 

 

思えば、大地の再生の作業は急かされることなく、

むしろゆっくりやることを奨励されていて驚いた!

 

ずっと生き急いでた。

もっとペースダウンしていいんじゃね?俺。

 

実際にそうしてみた。

夢中になれる時はいいけど、

翌日の片付けは苦痛でもあった。

正直。怠け者だなあとも思う。

 

ずっと動いていた方には申し訳ないけど、ゆっくり作業もした。

 

もっとペースを落としてもいいかも。

人目を気にするから、それができないだけった。俺の場合はね。

 

そしたら、きっと物とも植物とも会話できるよ。俺。  

 

ちなみにこちらも参照

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

2番目の結城登美雄先生は民俗研究家で

東北地方を中心に日本中を歩いている研究者であり、

最近珍しいくらいの強烈な方だ。

 

その方の話は多岐にわたるが、

私の印象に残るのは、自然とともに生きること。

言い換えれば、自然との会話だ。

 

昔はお金があまりなくても済むくらい

自分で育て自分で作る暮らしをしていた。

例えば、

米も野菜も自給自足してきた。

 

冬の保存食を用意するのが、嫁の仕事だったと言う。

東北なら12月〜5月までの間、

作物は取れないので、

その分を11月末までに用意していた。

 

金を使う機会もなかった。

 

それが

なんでもお金で買えるようになって

人間はずいぶん不自由になったのかもしれない!

と感じた。

 

大地の再生では、家(たくちゃん家)の裏手に朴(ほお)の木が あった。

ホオノキは、アンパンマンの作者・やなせたかし氏がホオノキという詩を書いているので覚えていた。

 

ちなみに詩はこちら
下の方に アンパンマンのマーチ」と「ホオノキ」の詩碑  
がある。

 

www.kojyanto.net

 

ホオノキは、まな板になる木だ。

包丁に何度切られても平気なほど堅くないと役をなさない。

実際には細い木だったので、最近はまな板は作ってないだろうと思う。

 

 

それだけでなく、

必要なものは

自分で作る

暮らしをしていた。

 

例えば、

鍋や包丁などは買わなくてはいけなかったが、

ほとんどは作る知恵があった。

 

今は知識はあっても、知恵がない!

と言っていいかもしれない。

 

自然の恵みを受けるには、

やはり

自然の声を聴き取れなくてはいけない。

 

大地の再生で驚いたのは、

植物がそこに生えるのは意味があるのだと。

 

例えば、

この植物が生えるのは、ここに水脈がある。

あるいは、こちらはここに泥がたまっている。等々。

 

雑草という概念がないのにも驚いた。

 

上の話のように、

意味があってその植物が生えているのだがら、

無駄がない。

むしろ、

気づいて欲しいとメッセージを出している。

 

「二元論」とは、善悪、いい悪いに分けて考える思考法だ。

現代は特に特にいい人だらけになって、悪い人がいないとさえ思える。

でも、これも逆説だが、いい人が増えてるのに世の中が悪くなっているようにも見える。

 

前出の「退歩を学べ」にはこんな刺激的な言葉もある。

 

 

 

 

善に固執すれば悪になる

 

 

 

 

 

なんじゃそりゃあ!

 

の話だけど、なんだか腑に落ちる。

 

 

エミール・シオランのの言葉も思い出す。


「民族の凋落(ちょうらく)は、集団の正気が頂点に達した時に一致する。」


 

 

 参照

japan-energy-lab.hatenablog.com

 



 

 

結城登美雄先生がまさに!という方で、

よくバカヤローと言われる(笑)

 

現代では悪い人だが、人柄がわかればその意図もわかる。

それより、いい人ぶってる方がタチが悪いとも言える。

面従腹背で何を考えているかわからないからだ。

いい人であらねばならない人も多いので、それもまた一概に言えない。

 

また、

結城先生は場の重要性を強調されていた。

特に悪口を言える場のこと。

 

場とは、

会話 する空間とも言える。

 

観音堂は、嫁が姑の悪口を言うための場所だった!」

 

私自身も心当たりがあるが、やはりどうにもならんことは

その一瞬でも言えば発散されて気が楽にもなる。

 

 

悪口は言ってはいけない

 

そんなのわかってる!っちゅうねん。

 

それはそうだけど、我慢も限度がある。

 

言ってスッキリできるなら

その場を確保する。

そうすれば、嫁姑問題を続けられる。

 

これってすごい知恵だよ!!!

 

あまり真面目に受け取ってしまうと、

生きるのが辛くなる!

 

その極みが

現代だ!!!

と思う。

 

人間はずっとそうやって生きてきたのだ!

 

最低限の逃げ場

生活の中に作りながら。

 

だから、二元論で論じられる現代は危うい時代だ。

 

 

一方で、

変わりはじめると速いので驚くほどのスピードで変わるかもしれない。

 

 

 

逆のものさし講の清水店長は、講義のはじめにこんなことを板書された。

 

わかる=変(か)わる

 

この同じ3文字でも、「わ」と「か」が前後するだけでここまで違う言葉はない。

 

ずっと私も、わかれば変わった気になってきたけど、その差は大きい!

 

できることを足下からはじめることに尽きる。

 

 

最後に

自分が自分と会話することって時に辛い。

だから、

それはできるだけ避けたいのが本音。

 

でも、会話の先にしか、求めるものはない。

 

それに挑戦してみよう!

 

もっとのんびり生きようじゃないか!

 

って

俺は俺に訴えかける。

 

カウンセリングの発想と一緒だ。

答えは内にある。

 

それを感じ取れる力を養うだけ。

 

声にならない声を聴く会話の中に!

 

『DO(何をなすか)よりBE(どうあるか)〜アメフトスター選手の話から〜』

 


 

衝撃を受けた。

 

こちらの記事

logmi.jp



 
 

敬虔なクリスチャンなのだろう。

度々聖書の引用がある。

 

経済や覇権でアメリカを眺めてばかりいたが、

これほどの魂を持った人がいるのが、アメリカの強みなのだろう。

 

 

中身は非常にわかりやすく語られている。

 

カーク・カズンズ氏の考え方は以前教わったことのある

DO(何をなすか)よりBE(どうあるか)の話を思い出す。

 

何をなすかばかり考えてきたことを思い出す。

もっと大局的に見なければいけないことに気づかされた。

 

そして、

何も為さなくてもいいのではないか?(DO)

 

どうありたいかを大切にしたらいいのかもしれない!(BE)

 

 

考えさせられた。

 

 

その思考の補助線となるのが、

氏の言う

鏡か窓かだ。

 

この例えはちょっとわかりにくく感じたが、

これで違いがはっきりされる。

 

アメリカの若者にこういう方がいるのはまた希望だ。

日本にも実はこんな若者がたくさんいると信じている。

もちろん、私の住む福島県にも、川内村にも。

 

ここで生きる上で大切なのは、

何を為すかでない。

一緒にいたいと思われる自分であることだ。

 

そしてまた

これは

「和して同ぜず」でなければできないことだ。

 

 

 

 

こちらも参照

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

これだ!!!

 

 

 

ありがとうございました!

 

「自立② 〜令和の時代に〜」

 

 

 

前々回こんなことを書いた。

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

私の人生を変えたと言っていいコツ塾の

塾生同士の会にオンラインながら参加した際に

今まで得られなかった感覚に出会えたことを書いた。

 

 

 

 

コツ塾の説明を下記の通りした。

 
私見で説明すれば、
たくちゃんこと、野澤卓央さんが先賢から集めた「コツ」を集めて学ぶ塾のことで、自分の中につくった思い込み(信念)を解放して、自分が自立するための方途を学ぶ塾。

 

ここで

「自立」という言葉を使った。

 

個人レベルの「自立」であるけど、

令和の時代を考えれば、

国レベルでも「自立」するだろう。

 

つまり、

日本は戦後ずっと日米安保の名の下に

また

端的に言ってしまえば、

憲法9条の下に

アメリカに隷属してきた。

 

言い換えれば

依存だ!

 

憲法9条があったから

平和だったという人もいる。

 

それも一面事実だし、

上皇陛下の御心を思えば

平成も素晴らしい時代であったと言える。

変化の先鞭を取る辛い時代でもあった。

 

ただ

その本質を考えれば、

戦後の米ソ両極体制の中で

日本が、スイスのように

中立国としての地位を維持することが目的でもあった。

 

スイスと違うのは

アメリカに依存した形の中立国だった。

 

と思ってきたけど、

米ソ両極体制から考えれば、ソ連も絡む。

 

戦後日本統治は

領土的な分断でなく、

領土はアメリカが

精神的にはソ連が統治する形態をとったという説を

私は信じている。

 

私が今住む福島はじめとした東北や

北海道をソ連にやってもおかしくない状況だったし、

ドイツはじめ分断された国を見れば

領土の分断がなぜ日本で行われなかったかは不思議だからだ。

北方領土竹島等の分断統治の火種は残している)

 

前置きが長くなったが、

国としても自立に向かう。

アメリカのトランプさんの外圧もあるが、

国も人も自立に向かう当たり前の時代が来る

と私は信じる。

 

それは

「令和」の時代になったから。

 

令和の「令」は命令の「令」だという説もあるが、

温泉場に昔からいたという
「湯沐令(ゆのうながし)」という入湯を令(うなが)す人がいる。
そのように「令」を「うながし」と見れば、
「和を令(うなが)す」となる。

昭和とも
平成とも違う
新たな時代が来ることを信じるし、願う。

この記事が一つ示唆を与えてくれる。

www.nikkei.com





この500年くらいと言っていいだろう。
中世後の大航海時代産業革命〜2度の世界大戦〜現代に連なる
資本主義の拡大路線はGAFAに代表されるように
超巨大化しすぎてバランスが取れない。

そこにAIや仮想通貨等のテクノロジーの進展で、
むしろ感覚的には、時代がさかのぼるような変化がある
と上の記事に書かれている。



一方で
私の住む福島県川内村
依存体質を見ても思うところだからだ。

つまり、この地域は
補助金に依存した地域だ。

実は見渡すと、別に川内村だけの特異な話でなく、全国どこにも転がっている話でもある。

若者は都会に行って帰ってこない。
産業も産まれないので、補助金をしゃぶり尽くすしかないと思い込まされてきた。

でも、本当は魅力あるところなら
どんなに辺鄙なところでも
人は来る。
若い人は特にそうだ!

それも
そう遠くないタイミングにできると信じる。


そのためには
一つは利権構造を解体する作業が必要だ。

 

やはり利権は手放したくないもの。

たとえ時代錯誤であっても。

 

その変化の一つ大きいものとして東日本大震災

あの震災で電気一つ維持できなくなる社会の脆弱さを見せつけられた。

原発安全神話を信じさせた利権構造も露呈された。

 

その他数々の自然災害も多くの教訓を残している。

北海道地震は1週間以上も停電していたのはやはりシステムの問題とともに

その背後の問題も見えるわけだ。

 

地球温暖化に対する対応も、利権構造解体と見ると結構わかりやすい。

 

最近では石炭火力発電所を新規増設しないように国連事務総長がメッセージを出しているが、これはまさにエネルギー利権の一つを壊そうともしている。

 

実際には地球は氷河期に入るという科学者もいるし、私自身はそう捉える。

 

現実として、愛や理想だけで世界も変わらない。

 

 

また個人レベルで考えると

本当の「和」が実現する。

 

今までの「和」は論語で言えば、

同じて和せず だった。

 

皆と同じようにすることを求められた。

そしてそれが手っ取り早かった。

 

学校教育がわかりやすいが、

産業革命以降(国富論以降と言ってもいいかもしれないが)

工場労働者はじめ一定の水準をクリアする人材が求められた。

 

その反動としての個性教育

変わったことを個性と勘違いして

現実には「空気を読む」ことを求められる同調圧力下に置かれた。

 

同じ個性同士を一緒にすることで個性は延ばせるという方もいるが、

私自身は個性は教えられない、強制できないと考える。

その人が主体的努力でしか勝ち取れないものでもある。

私の言い方で言えば、

刈っても刈ってもなお生えてくる雑草のようなものとのとらえだが、

長くムラ社会に属していると楽したくなる自分もいる。

 

ともあれ、個性のそれぞれを生かして

和して同ぜず

を体現する。

またその必要がある。

 

前回ブログ

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

で書かなかったが、

事業シェアの事例。

経営者同士が事業を立ち上げている。

当然考え方の違いが対立を生みそうだ。

 

「凸凹のほうがいい」と。

 

つまり、共通の目標があるから、役割分担がはっきりできて、かえって協調できるのだという。

 

これはまさに

和して同ぜず!

 

面白くなってきたぜ!

www.youtube.com



ありがとうございました!

「新たな形の模索 〜2019.6.1〜2 育成塾卒塾旅行〜」

 

 

石巻、南三陸気仙沼宮城県三陸地域を旅した。

 

 

 

卒塾旅行でもあったので、

気仙沼で行われていた育成塾の前身のみらい塾の方々の取り組みにも触れた。

大きくは

石巻  昼食(街並みを見る)

・南三陸 シェア食品加工

・    体験農場 言い換えればシェア農場

気仙沼 シェア事業

・    シェアスペース

 

かなりはしょりましたが、こう見るとシェアビジネスの現実を見ることができた。

シェアビジネスはこれから伸びるという方もいる.

これだけのものを見せつけられると、本当に可能性を感じる。

一方で、もちろんシェアビジネスは枠組みづくりが大切だと実感する。

 

例えば、シェアする場があっても、現実はその土地の人がどれだけ利用するかが大きい。宣伝も必要だが、やはり人の多いところでやった方がいいという点では、現状のGAFAに代表される巨大資本企業が有利であることは変わりない。

 

反面、 密な関係性が地方の強みなので、一度ブレイクすればデカイに違いない。いかに地域の人に利用されるかの仕組みづくりといえば簡単だが、どのように人の心を動かすかが求められる。

 

生みの苦しみはまだしばらく続くはずだが、

時代の変化も早いはずだ。

AI(人工知能)、VR(仮想現実技術)、エネルギー転換等々

携帯電話がわかりやすいが、

変わり始めれば一気に変わるものだから、

時代の流れに乗れば一気に変わるかもしれない。

 

新しい形の模索をしていきたい。

また、

時代が模索してだろう。

 

育成塾でさんざん学んだこと。

事業はそもそも計画性が大切だ。

しかし、それは絶対的なものではないのかもしれない

と考えさせられる。

 

というのは、

現実的には走りながら考えることが必要になる。

 

一度建てた計画どおりに全て行われるわけがない。 

 

計画に完璧を求めるのはどだい無理なので、

それよりも調整できる力の方が大切だ。

 

カネ以外の物差しが必要かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に

 

こちらも2度目の来訪に驚く。

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以前、実は南三陸で移住しようなんて考えてた。

それでここも訪れていた。

 

けど、ご縁がなかった。

それもまた意味があるのだろう。

 

 

これでいいのだ。

 

 

一方で、

塾の仲間とこんな旅に行けるのは最高だ。
こんなご縁ができるのもありがたい限りだ。

 

 

捨てる神あれば拾う神あり。なのだ。






熱心に誘ってくれた ふくちゃん、
モリビトでお世話になってる むうちゃんはじめ

準備いただき感謝です!

 




ありがとうございました!