japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「自立② 〜令和の時代に〜」

 

 

 

前々回こんなことを書いた。

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

私の人生を変えたと言っていいコツ塾の

塾生同士の会にオンラインながら参加した際に

今まで得られなかった感覚に出会えたことを書いた。

 

 

 

 

コツ塾の説明を下記の通りした。

 
私見で説明すれば、
たくちゃんこと、野澤卓央さんが先賢から集めた「コツ」を集めて学ぶ塾のことで、自分の中につくった思い込み(信念)を解放して、自分が自立するための方途を学ぶ塾。

 

ここで

「自立」という言葉を使った。

 

個人レベルの「自立」であるけど、

令和の時代を考えれば、

国レベルでも「自立」するだろう。

 

つまり、

日本は戦後ずっと日米安保の名の下に

また

端的に言ってしまえば、

憲法9条の下に

アメリカに隷属してきた。

 

言い換えれば

依存だ!

 

憲法9条があったから

平和だったという人もいる。

 

それも一面事実だし、

上皇陛下の御心を思えば

平成も素晴らしい時代であったと言える。

変化の先鞭を取る辛い時代でもあった。

 

ただ

その本質を考えれば、

戦後の米ソ両極体制の中で

日本が、スイスのように

中立国としての地位を維持することが目的でもあった。

 

スイスと違うのは

アメリカに依存した形の中立国だった。

 

と思ってきたけど、

米ソ両極体制から考えれば、ソ連も絡む。

 

戦後日本統治は

領土的な分断でなく、

領土はアメリカが

精神的にはソ連が統治する形態をとったという説を

私は信じている。

 

私が今住む福島はじめとした東北や

北海道をソ連にやってもおかしくない状況だったし、

ドイツはじめ分断された国を見れば

領土の分断がなぜ日本で行われなかったかは不思議だからだ。

北方領土竹島等の分断統治の火種は残している)

 

前置きが長くなったが、

国としても自立に向かう。

アメリカのトランプさんの外圧もあるが、

国も人も自立に向かう当たり前の時代が来る

と私は信じる。

 

それは

「令和」の時代になったから。

 

令和の「令」は命令の「令」だという説もあるが、

温泉場に昔からいたという
「湯沐令(ゆのうながし)」という入湯を令(うなが)す人がいる。
そのように「令」を「うながし」と見れば、
「和を令(うなが)す」となる。

昭和とも
平成とも違う
新たな時代が来ることを信じるし、願う。

この記事が一つ示唆を与えてくれる。

www.nikkei.com





この500年くらいと言っていいだろう。
中世後の大航海時代産業革命〜2度の世界大戦〜現代に連なる
資本主義の拡大路線はGAFAに代表されるように
超巨大化しすぎてバランスが取れない。

そこにAIや仮想通貨等のテクノロジーの進展で、
むしろ感覚的には、時代がさかのぼるような変化がある
と上の記事に書かれている。



一方で
私の住む福島県川内村
依存体質を見ても思うところだからだ。

つまり、この地域は
補助金に依存した地域だ。

実は見渡すと、別に川内村だけの特異な話でなく、全国どこにも転がっている話でもある。

若者は都会に行って帰ってこない。
産業も産まれないので、補助金をしゃぶり尽くすしかないと思い込まされてきた。

でも、本当は魅力あるところなら
どんなに辺鄙なところでも
人は来る。
若い人は特にそうだ!

それも
そう遠くないタイミングにできると信じる。


そのためには
一つは利権構造を解体する作業が必要だ。

 

やはり利権は手放したくないもの。

たとえ時代錯誤であっても。

 

その変化の一つ大きいものとして東日本大震災

あの震災で電気一つ維持できなくなる社会の脆弱さを見せつけられた。

原発安全神話を信じさせた利権構造も露呈された。

 

その他数々の自然災害も多くの教訓を残している。

北海道地震は1週間以上も停電していたのはやはりシステムの問題とともに

その背後の問題も見えるわけだ。

 

地球温暖化に対する対応も、利権構造解体と見ると結構わかりやすい。

 

最近では石炭火力発電所を新規増設しないように国連事務総長がメッセージを出しているが、これはまさにエネルギー利権の一つを壊そうともしている。

 

実際には地球は氷河期に入るという科学者もいるし、私自身はそう捉える。

 

現実として、愛や理想だけで世界も変わらない。

 

 

また個人レベルで考えると

本当の「和」が実現する。

 

今までの「和」は論語で言えば、

同じて和せず だった。

 

皆と同じようにすることを求められた。

そしてそれが手っ取り早かった。

 

学校教育がわかりやすいが、

産業革命以降(国富論以降と言ってもいいかもしれないが)

工場労働者はじめ一定の水準をクリアする人材が求められた。

 

その反動としての個性教育

変わったことを個性と勘違いして

現実には「空気を読む」ことを求められる同調圧力下に置かれた。

 

同じ個性同士を一緒にすることで個性は延ばせるという方もいるが、

私自身は個性は教えられない、強制できないと考える。

その人が主体的努力でしか勝ち取れないものでもある。

私の言い方で言えば、

刈っても刈ってもなお生えてくる雑草のようなものとのとらえだが、

長くムラ社会に属していると楽したくなる自分もいる。

 

ともあれ、個性のそれぞれを生かして

和して同ぜず

を体現する。

またその必要がある。

 

前回ブログ

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

で書かなかったが、

事業シェアの事例。

経営者同士が事業を立ち上げている。

当然考え方の違いが対立を生みそうだ。

 

「凸凹のほうがいい」と。

 

つまり、共通の目標があるから、役割分担がはっきりできて、かえって協調できるのだという。

 

これはまさに

和して同ぜず!

 

面白くなってきたぜ!

www.youtube.com



ありがとうございました!