japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村で移住6年。いわなの郷で働きつつ、日本一だった炭焼き復活を期す川内村炭焼きプロジェクト、移住者だけでなく新たな場作りを考えるCafe學校を主宰。本ブログでは、成長の観点で思いのままに書いています。

「会話 〜3つの学びから〜」

 

 

 

以下の3つの学びの会に参加。

 

6.8   逆のものさし講 郡山市福島県

6.9・10 結城登美雄先生勉強会 川内村福島県

6.11・12  大地の再生 作業 愛知県新城市

この時のことを、まとめて書いてみる。

 

つまり、楽しました。

 

 

ちなみに

初回は仕事後に参加したが、
6.9〜12まで4連休を頂いた。
感謝です。
 
 

3つ目の大地の再生は、

フォレストガーデンを作る名目。

実際はその前段階に終始しているところもあるが、

ずっと作業だったが、これがまた学びだった。

 

こちらで度々話題にするコツ塾。

その塾長のたくちゃんのご実家での作業を手伝いに行った。

愛知県新城市

 

私の住む福島県川内村から 

車で行くと正味6時間。

途中休憩・仮眠含めて10時間の道中だった。

 


 

こちらでは最初庭の剪定を行う。

その際、

「植物と会話する」

なんていうのだ。

 

それってわかるとかわからないの次元を超えていて、

必死にそれっぽい事をするのみだった。

 

案の定?

切り過ぎてしまい注意を受ける。

 

風を入れて、水を流すようにすれば、

その植物にとっての最善の状態ができる。

それは場所や他の植物とのバランスもあって、

不要な枝は簡単に折れるのだという。

わかった気になってやって失敗したのだ。

 

会話 してなかったわけだ。

 

水の滞りは度々話題になる。
U字溝や土砂崩れ予防の堤?ができて、水の流れが変わった事で、

魚が住んでいた池も沼地になってしまったということもあった。

 

おどろくことばかりだった。 

 

 

たまたま、
帰宅してから、


逆のものさし講をされている清水店長から教わった

こちらの本を手に取る。

 

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たくちゃんもコツ塾の中で、二元論と一元論の話をされるが、

これも二元論を乗り越えることを、禅を通して書かれている。

 

そこには

 

「物との会話」があった。

 

おっとお!

 

植物との会話と一緒じゃないかあ!

 

 

ものと会話することで、 

感謝や足るを知るきっかけになるとの話もあった。

 

私自身で言えば、

効率的に行うことばかりを考えていたことに気づき反省。

早く終わらせよう・・・とばかり考えてた。


否、ゆっくりしたいけど、それさえもずっとできなかった。

 

 

思えば、大地の再生の作業は急かされることなく、

むしろゆっくりやることを奨励されていて驚いた!

 

ずっと生き急いでた。

もっとペースダウンしていいんじゃね?俺。

 

実際にそうしてみた。

夢中になれる時はいいけど、

翌日の片付けは苦痛でもあった。

正直。怠け者だなあとも思う。

 

ずっと動いていた方には申し訳ないけど、ゆっくり作業もした。

 

もっとペースを落としてもいいかも。

人目を気にするから、それができないだけった。俺の場合はね。

 

そしたら、きっと物とも植物とも会話できるよ。俺。  

 

ちなみにこちらも参照

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

2番目の結城登美雄先生は民俗研究家で

東北地方を中心に日本中を歩いている研究者であり、

最近珍しいくらいの強烈な方だ。

 

その方の話は多岐にわたるが、

私の印象に残るのは、自然とともに生きること。

言い換えれば、自然との会話だ。

 

昔はお金があまりなくても済むくらい

自分で育て自分で作る暮らしをしていた。

例えば、

米も野菜も自給自足してきた。

 

冬の保存食を用意するのが、嫁の仕事だったと言う。

東北なら12月〜5月までの間、

作物は取れないので、

その分を11月末までに用意していた。

 

金を使う機会もなかった。

 

それが

なんでもお金で買えるようになって

人間はずいぶん不自由になったのかもしれない!

と感じた。

 

大地の再生では、家(たくちゃん家)の裏手に朴(ほお)の木が あった。

ホオノキは、アンパンマンの作者・やなせたかし氏がホオノキという詩を書いているので覚えていた。

 

ちなみに詩はこちら
下の方に アンパンマンのマーチ」と「ホオノキ」の詩碑  
がある。

 

www.kojyanto.net

 

ホオノキは、まな板になる木だ。

包丁に何度切られても平気なほど堅くないと役をなさない。

実際には細い木だったので、最近はまな板は作ってないだろうと思う。

 

 

それだけでなく、

必要なものは

自分で作る

暮らしをしていた。

 

例えば、

鍋や包丁などは買わなくてはいけなかったが、

ほとんどは作る知恵があった。

 

今は知識はあっても、知恵がない!

と言っていいかもしれない。

 

自然の恵みを受けるには、

やはり

自然の声を聴き取れなくてはいけない。

 

大地の再生で驚いたのは、

植物がそこに生えるのは意味があるのだと。

 

例えば、

この植物が生えるのは、ここに水脈がある。

あるいは、こちらはここに泥がたまっている。等々。

 

雑草という概念がないのにも驚いた。

 

上の話のように、

意味があってその植物が生えているのだがら、

無駄がない。

むしろ、

気づいて欲しいとメッセージを出している。

 

「二元論」とは、善悪、いい悪いに分けて考える思考法だ。

現代は特に特にいい人だらけになって、悪い人がいないとさえ思える。

でも、これも逆説だが、いい人が増えてるのに世の中が悪くなっているようにも見える。

 

前出の「退歩を学べ」にはこんな刺激的な言葉もある。

 

 

 

 

善に固執すれば悪になる

 

 

 

 

 

なんじゃそりゃあ!

 

の話だけど、なんだか腑に落ちる。

 

 

エミール・シオランのの言葉も思い出す。


「民族の凋落(ちょうらく)は、集団の正気が頂点に達した時に一致する。」


 

 

 参照

japan-energy-lab.hatenablog.com

 



 

 

結城登美雄先生がまさに!という方で、

よくバカヤローと言われる(笑)

 

現代では悪い人だが、人柄がわかればその意図もわかる。

それより、いい人ぶってる方がタチが悪いとも言える。

面従腹背で何を考えているかわからないからだ。

いい人であらねばならない人も多いので、それもまた一概に言えない。

 

また、

結城先生は場の重要性を強調されていた。

特に悪口を言える場のこと。

 

場とは、

会話 する空間とも言える。

 

観音堂は、嫁が姑の悪口を言うための場所だった!」

 

私自身も心当たりがあるが、やはりどうにもならんことは

その一瞬でも言えば発散されて気が楽にもなる。

 

 

悪口は言ってはいけない

 

そんなのわかってる!っちゅうねん。

 

それはそうだけど、我慢も限度がある。

 

言ってスッキリできるなら

その場を確保する。

そうすれば、嫁姑問題を続けられる。

 

これってすごい知恵だよ!!!

 

あまり真面目に受け取ってしまうと、

生きるのが辛くなる!

 

その極みが

現代だ!!!

と思う。

 

人間はずっとそうやって生きてきたのだ!

 

最低限の逃げ場

生活の中に作りながら。

 

だから、二元論で論じられる現代は危うい時代だ。

 

 

一方で、

変わりはじめると速いので驚くほどのスピードで変わるかもしれない。

 

 

 

逆のものさし講の清水店長は、講義のはじめにこんなことを板書された。

 

わかる=変(か)わる

 

この同じ3文字でも、「わ」と「か」が前後するだけでここまで違う言葉はない。

 

ずっと私も、わかれば変わった気になってきたけど、その差は大きい!

 

できることを足下からはじめることに尽きる。

 

 

最後に

自分が自分と会話することって時に辛い。

だから、

それはできるだけ避けたいのが本音。

 

でも、会話の先にしか、求めるものはない。

 

それに挑戦してみよう!

 

もっとのんびり生きようじゃないか!

 

って

俺は俺に訴えかける。

 

カウンセリングの発想と一緒だ。

答えは内にある。

 

それを感じ取れる力を養うだけ。

 

声にならない声を聴く会話の中に!