japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「ある」からはじめよう

 

一昨日のこと。
私名義の郵便貯金通帳があったけど、紛失。

そのお金が今持っている別の通帳に入ったと報告の郵便が届いた。

 

それまで実感を持たなかったけど、

えらい責任を感じた。

 

紛失した通帳は親が貯めてくれたものだった。

通帳の記録も入っていた。
その記録はそれ以前までは記帳していた証だ。

その最初の記録が平成13年。
2001年4月1日の利子の記録。

それ以降は入金していない。

2001年4月1日は、私が25歳。

単純にその以前まで記帳していたわけだ。

入金もしていたかもしれない。

 

その頃の自分を思い出せば、学生を終えてすぐ入った会社を辞めてしまったところ。

 

愛を受けてこなかったなんて考えてきたけど、
そんなことなかった。

欲しい愛の形ではなかったのだけどね。

ある。そこから始めよう。

 

ない。思い出したらきりがない。

 

少なからずある

「ある」を大切にしながら。




こちらも参考まで。

archives.mag2.com

 

 

「横断歩道」



 

昨日のこと。


田村市常葉町

お世話になっている
たっちゃんが経営される
川合精肉店のちょっと手前に、

横断歩道がある。

 

部活が終わったジャージ姿の男子中学生2人が
車が通り過ぎるのを待っていた。

 

いつもは
わかっていても
ラグビーでいうアドバンテージだ

 

俺が止まっても対向車が止まらなくちゃ

渡れないんだし

後ろに続く車は1台だけなんだからいいべ

 

なんて思って

止まらないことが多かった。

 

今回は

正直

たまたま

止まった。

 

急いで渡ったかと思ったら、

道から出るくらいの勢いで

 

「ありがとうございました!!!!!」

 

それこそ90度以上の最敬礼。

 

私の方と
対向車の方と
さらに私の後ろの車の方と
3回大きな声で言った。

 

 

私の方はひかないように気をつけて車を発進させる。

 

 

 

 

 

驚いた!!!

 

 


こんな子がいるのかと。

 

むしろそこまでされて

こそばゆいくらいだったし、

今までそれをしなかった自分を恥じた。

 

これが福島のすごさの一つかもしれない。

なんて考えてしまった。

 

たっちゃんや

なっつさんや

あ、昨日会った桑原さんもそうだろうか。

常葉中の卒業生の顔を思い出す。

他にもいたら教えてください。

 

その気持ちがうれしかった。

 

それはその子が・・・とも言えるけど、

きっと土地に根ざした教育力。

 

様々なことを考えた。

 

 

とても心温まる刹那だった。

「成長のチャンスは日常に転がっている」



成長をどう定義するかもあるけど、

成長のチャンスは日常にいくらでもある。

それはむしろ嫌なことの中にある。

 

先日のこと。

 

あることで自責の念。

自分を責めていた。

これは癖なので、頭でわかっていても条件反射的に行ってしまう。

元気な時は切り替えられるんだが、

疲れているとどっぷり入ってしまう。

 

最近では久しぶりにどっぷり。

 

なかなか切り替えられずにいたけど、

ふと思いつく。

 

 

 

 

あ!!!!!!

 

 

 

 

 

自分が自分を信頼していなかった!!!!!!

 

 

 

そうだったあああああああああああ

 

 

一つの方法としての客観視。

そのための瞑想は非常に有効だ。

 

それはあたかもテレビで自分の様子を見るように。

 

そのことで、他者からの悪意を真に受けなくて済む。

罪悪感を与えて人を動かすケースもある。

 

私が子供の頃、親からそうされてきたように。

また、私が子ども対してそうしてきたように。

 

だから、その悪意を受け入れる。

けど、それを真実とは受け止めない。

 

相手に罪悪感を与えてコントロールしようとする

一つの共依存は結構いろいろなところにある。

 

そんなバカな相手の手には乗らない。

かと言って、正義を振りかざして相手を責めることもしない。

 

私の場合はむしろ、自分はこんなバカなことを

今は

してないだろうかと省みる機会にする。

 

このちょっとしたバランス感覚で、生きやすくなる。

 

参考としてひすいこたろうさんのブログを以下にリンクする。

 

ameblo.jp

「歴史が変わると未来は変わる!」

 

 

 

こちらの本。

 

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落合莞爾氏の本は難解を極める。

吉薗周蔵手記を基にした歴史洞察シリーズの5作目。

 

大正期の手記ながら、今回は渡来人についての洞察にまで至る。

 

日本への渡来人は大きく3種。

 

縄文人

弥生人

古墳人

 

その中の古墳人について。

従来「山窩(サンカ)」と呼ばれてきた人々に焦点を当てる。

 

その

一つ。

タイトルにもなっている

「タカス」は、

ユーラシアのステップロードから北朝鮮豆満口を経て日本海から津軽海峡を抜けて

小名浜福島県いわき市)に上陸したという!

 

私の住む福島県川内村も近い場所にある。

 

 

 

タカスはもともと古代エジプトミイラ職人。

医術・製薬・整体・祈祷も含めた能力を持ち、ミイラに代表される終末再生思想を持つ。

 

古墳時代にこのような族種が渡来してきた背景には、

弥生人が稲作を持ってきて、稲作に欠かせない水田のため水を引く技術を持った縄文人の設計もあって、コメが大量にできた。

氏の言葉を借りれば、ごくつぶしのために古墳人が連れてこられ、

当時の都市ができたという。

 

そうなんだ。

都市は見方を変えれば、ごくつぶしの場所。

なんら食物を生産してないんだから。

その見方はまず持って大事だ。

 

江戸時代になると、穢多・非人の非人にもなったという。

タカスがアヤタチ(渡来イスラエル人)と混交することで、

國體護持のヒール(悪役)を担うようになったという。

 

例えば、創価学会

満鮮で生まれた大日本皇道立教会が戦後、反共の砦として置いたという。

生きているか謎の池田氏はともかく、その前の牧口氏・戸田氏はそっちの人だ。

 

確かに戦後の共産化を抑えた。

国政では公明党は確実に共産党より議席を多く取って来た。

本来なら共産党に行く人たちを公明党と割ったわけだ。

 

分断統治の一手法として納得できる。

 

もし公明党がなくて、その票が全て共産党に行っていたら・・・

これ以上は イワナくてもいいはずだ。

 

 

 

ここからは私の洞察。

 

 

最近では

オウム真理教

 

先日、麻原氏はじめ一気に死刑囚7人の死刑執行を行なった。

 

今にして考えれば、

ロシアで武器を購入したり、サリン開発等、

莫大な金のかかることをして来た。

例えに出して悪いが、幸福の科学にはこんなことはできない。
(やる意思がないと言われればそれまでだが)

宗教団体が金を持っているのは事実だが、そこまでできることではない。

 

また、

村井氏が殺されたのはこんなことを言ったからだという説も流布している。

 

参照

https://www.youtube.com/watch?v=KUzWqSAaOjE

 

 

 

 

オウムの役割はよくわからないが、

創価学会同様、國體護持のヒールを演じて来たように洞察する。

 

あえて言えば、不安恐怖を作り出す存在だったように感じる。

平成の混沌を演出したのだろう。

もしかしたら、北朝鮮問題の絡みもあったかもしれないし、少なくともロシアとの関係はあった。その後、ロシア経済が立て直ったのはプーチンの力だけではないはずだ。

 

 

ともあれ、

刑執行は一つの時代が終わったからだ。

 

思うに、米朝会談も終わり、朝鮮統一が見えてくるこの時期だからと考えている。

 

その点で言えば、池田氏もそろそろ死亡報道を出してもいいのだろうが、

公明党が政権を離れてからになるのだろうか。

 

 

話を戻すと、

本のタイトルには「國體忍者」とあるように

スパイとしての役割以外にも

國體護持のヒールを役割として担って来たのは、

渡来古墳人をルーツに持つ人たちだった。

 

 

余計な話かもしれないが、

麻原は目が悪かったという。

 

この古墳人は今でも近親結婚を続けて、純血を守っているという。

 

当然、障碍も出る。

盲目なのもあり得る話だ。

 

訳がわからん!!!

と思った方は、ご自身でお調べください。

結構この辺りの話はネット上によく出てくる。

ただ、陰謀論で終わってしまわないのが落合氏の卓見と考える。

 

 

 

長くなったが、

まとめとして。

 

以前こんなことを書いた。

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

歴史が変わると未来は変わる。

 

個人でも同じ。

 

私自身も過去を肯定できたから、未来が変わって来た。

 

炭焼きに出会うことで

オセロで言えば今が白になる。

それまで続いた黒は、このためだったと思えば、ずっと黒だと思って来たことが白になる。

 

過去

つまり

歴史が変わると未来は変わる。

 

若者は

黒歴史なんて表現をするらしい。

 

いつの日か

白を見つけたらいい。

 

そうなれば
黒歴史なんて全てネタだ。

 

国家や世界レベルになっても、大きくは同じ。

 

 

必ず良くなる!

 

大丈夫!

 

私は信じている。




ちなみにこちらも参考まで!

https://imperialeyes.com/lp/

 


「人生の意味を知る ~現場で学ぶ⑶~」

 

 

大げさなタイトルと思われたかもしれない。

 

前回の続きだ。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

意味

今ここにいる意味があると考えている。


その意味を見出せない時は辛い。

 

そんなことを考えたきっかけは先日の梅氏のセミナー?

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

ニーズカード(自分の求めているもの)の中に

「意味」があった。


受け入れることが一つだ。
無為とも言えるかもしれない。
捨てるということでもある。

ただそれだけではない。


まだ今はわからないが、今後見つけていこう。

「選択肢を選ぶ ~現場で学ぶ⑵~」

 

 

前回の続き

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

 

では何ができるか?


の前に
できることがないと嘆く前に
できることは無限にある。

ただ、現実もあるので、可能な選択肢を選ぶ作業だ。

 

 

 

ということで

何ができるか?

 

 

 

 

一つ目

努力も大切だ。

 

もちろんこれは行う。

ただし、限度がある。

 

これは私が小さい頃、母の愛がなくなることを恐れて、

非現実的な努力を続けてきた。

 

何をやっても満足しない母を満足させることはできなかった。

 

実は親方と全く同じで、

相手ができないことで不満を喜ぶ人だった。

 

適切な努力はしよう。

でも、これでは答えとしては不十分だ。

 

 

 

 

二つ目

文句も言えるかもしれない。

 

必要なことは正しい手続きで伝える必要はある。

 

でも、相手は理解する頭がない。

何がいけないんだと。

周囲にもそれをたしなめられる人はいない。

 

つまり、自己満足で終わる。

焼け石に水なのだ。

 

その面では

相手にリクエストをしようなんて思わない。

ここの部分は基本的には家康になって待たなければならない。

 

 

 

 

 

三つ目

半円を作る。

 

これは

コツ塾で学んだこと。

 

人間関係で相手と自分で一つの円を作るなら、

相手は何もしなくても、自分がその半分を作ることができる。

 

人間関係では、相手に求めること、リクエストしがちだが、

それは解決しないことは読者は皆わかることだ。

 

たとえ、相手がどうであろうと、私自身は最低限の礼節は失わない。

それはできること。

 

この力はよく感じてきたことだ。

 

 

 

 

 

さらに踏み込んだことにも気づくチャンスなのだが、

これはまた次回にする。

 

「仕事場でのお話 ~現場で学ぶ⑴~」

一昨日書いたもの。
そのまま以下に載せる。 

 

 

 

 

 

引き寄せの法則なんてものがある。

自分が願った通りになる。

 

その文言だけが一人歩きしやすいが、そのための条件があって、

例えば、願った世界を自分が心底望んでいないとそうはならない。

言い換えれば、心の底で「私は夢を叶えるような人間ではない」と思っていたら、

それが現実化する。


今回はそのような負の側面を

現場で学んだ。

 

親方は基本私に仕事を任せない。

おそらく、過去に任せた部分しかやらせない。

もちろん、餌やりはしているが、それはそれほど難しくないとか、影響が小さいとかあるが、

結局自分が仕事がなくなることを恐れている。

 

その恐れが現実化する話。

 

昨日は久しぶりの恵みの雨で

いわなのいる水槽は水が潤っている。

 

反面、川から引いているので、土砂を大量に持ってくる。
堰から養魚場の途中の土砂を取り除かねばならない。

 

私がそこに入って土砂を取ろうとするがなかなか取れない。

狭くて身動き取れないからだ。

 

それを見て親方はがっかりした顔をして

「お前じゃダメだ」

「このあと選手交代だ」

と言って、私に失格の烙印を押す。

 

よくよく表情を覗くと、不満や失望の奥に

うれしそうな口元を私は見逃さなかった。

 

そう。

 

私に失格の烙印を押して喜んでいるのだ。

なぜなら、「俺がいないといけない」と本気で思い込んでいるからだ。

 

これに確信を持つのは、

一切コツを伝えようとしない。

言葉を知らない、あるいは教え方がわからない、自分はそうされてこなかった、

色々な言いようはあるが、

その気がないだけだ。

 

下の人間が育っては困るからなのだ。

 

悲しいことだが、そういう人が多いのも事実だ。

 

親方も恐れで動くことしかできない人でもある。

それしか知らないのだ。

 

では、私は何ができるか。

これは次回に回す。