「ありかた (TO BE) ~田村市常葉 ときめき山学校 にて ⑵ ~」
前回の続き
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ときめき山学校の奥山さん。
素敵な方だった。
ときめき山学校の校長先生と紹介を受けて至極納得。
その夜読んだこちらの本。
何度も引用している老子。
後己第六十六には、冒頭こうある。
江海(こうかい)の能(よ)く百谷(ひゃくこく)の王たる所以の物は、其の善く之に下るを以てなり。
故に能く百谷の王と爲(な)る。
以下解説を引用する。
大河と大海が多くの谷の王となっている理由は、流れの下流にいて全てにへりくだっている事にある。
「情報は下流に集まる」といわれている。したがって情報を集めようと思ったら、足を棒にして低地(現場)や人込みを歩きまわる事だ。
よくへりくだっているからこそ、多くの谷の王になっているのだ。
とっておきの情報を聴きこんで来る名記者は、上から目線は一切ない。驚くほど謙虚でへりくだっている。
更に全身が耳と目といった状態で、何事もひたすら感心して聞く。だから相手もだんだん乗せられて何でも話す事になる。
一言で言えば”破格の好奇心”の持主ばかりだ。
このように書かれている通りの人物だった。
無論、「無為」であることは言うまでもない。
無為について参照。
つまり、手出し口出しも全くない。
休憩時の飲み物や食べ物の用意から、
ポイントとなる竹の準備や稲の運搬、稲植え。
縁の下の力持ちとしての動きに徹していた。
実際的な作業は全て来た人が行うようにする。
其のことで、来た人はやりがいを持つことができて、愛着も持てる。
何より話は短い!
そして話を聴く。
私の方がついつい話し過ぎてしまう。
上の解説の通りだ。
また、最後にはこうある。
ここを以って天下樂しみ推して厭(いと)はず。
其の争はざるを以ての故に天下能く之と争ふ莫し。
解説
だからこういう人の治める天下は実に愉快だから、それをもっと推し進めようとしても民は嫌がらない。
上と下の間が争わないから、民の間も争うことがなくなる。だから天下に争いごとがなくなる。
ときめき山学校に参加して、やっぱり楽しかった!
またやりたいって思う。
こうして争うことがなく楽しんで行えたのは、組織の上下での争いがないからだ。
これも老子の言う通りになっている。
もう一つ引用したい。
淳風第十七
太上(たいじょう)は下(しも)之有るを知るのみ。
其の次はこれに親しみ之を誉む。
其の次は之を畏れ、其の次は之を侮る。
信(まこと)足らざれ場なり。
・・・
解説にはこうある。
最も優れたリーダーは下に居る人々はただ其の存在を知っているだけ。その人の行動や働きなど何一つ知らない。それこそが名リーダーのあり方だ。・・・
それに及ばないリーダは、部下たちの親しみや賞賛を集めているタイプ。其の下は、部下が畏れこわがっているタイプ。最低なリーダーは、部下がバカにし軽視している人。それはその人に、部下がどうしても信頼できないところがあるからだ。
いわゆる私は「最低なリーダー」をしてきただけによくわかる。
ときめき山学校の校長先生は、
太上(たいじょう)は下(しも)之有るを知るのみ。
を文字通り実践されているように見受けられた。
さらに
最後にこうある。
功成り事遂げて、百姓皆我自(みずか)ら然りと謂(おも)ヘリ。
解説では
リーダーが自分の経営や政治がうまく行っているかを計る要点。事が旨く行き成功した時、蔭で懸命に支援した自分のことなど一切忘れて、部下や国民が自分の働きの結果だと思っている事にある。何故なら、リーダーの仕事は部下や国民に点を取らせる事にあるからだ。
言葉を足すことはない。
身近にこのような方と出会えた事に感謝する。
それはオセロで言えば、私の過去の黒が白に変わる可能性を持った出会いでもあったから。
ありかた
英語で言えば
To be または Being
これって言葉ではわかった気になれるけど、本当のところはわからない。
人の姿を通してしか、本当にはわからないのだから。