japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「広域連携」

 

 

双葉郡未来会議ミーティング

FMMTG

初参加。

 

中心となる平山氏からFB通してお誘いをずっと頂きながら、

春夏の忙しさの中でずっと参加できずにいた。

 

以下は、感じたこと、思ったことをそのまま書いた。

 

最近できたという冊子も拝見。

昨年のイベントでは、8町村の中で唯一川内村だけ欠席だったことを知る。

人が少なかったとか、たまたまだけでない地域性もまた実感した。

 

率直に言って、会議らしい感じでなく、主にイベントの情報共有だった。

 

このゆるい感じが心地よかった。

 

これって大事だなって感じた。

 

まずは情報共有から。

つまり、お互いを知ることから。

 

知るとは、(段階もあるが)

建前はこうだと知ることより一歩深めれば、

本音として、現実として、こうだということもあると知るということ。

まどろっこしい言い方だったが、

この地域では公には話せないこと(ニュースにできない話)も随分あるということ。

 

例えば…

(会議での話でなく私の身近な川内村の例で言えば、)

除染時に出るいわゆる汚染土、フレコンパックは仮置場(仮仮置場?)にトラックで移す。

その際、そのトラックが通る道沿いの住民にいくらか支払われる。
時には、文句を言えば言っただけ、その人に支払われる金額はつりあがった。

 

今年度になって、対応は実は変わった。

 

文句を言う人に対しては、じゃあその道は通りませんよ。遠回りでも迂回しますよ。

だから、お金も出しませんよ、と。

 

被害者ビジネスという言葉も今年になって知ったが、それが横行できなくなってきた。

 

こんなことはニュースにはならない。
オシントとヒューミント(スパイ用語?だが、この地域を読み解く大事な見方なので検索して調べて欲しい)で言えば、ヒューミントでしかわからないことが多いのだ。

報道では見えない現実がたくさんある地域だ。

 


話を戻す。


本音を話せる場というのは案外ない。

特に、実践者(事を起こそうとする人、プレーヤー)と移住者。

双葉郡未来会議には、連帯として、広域連携としての側面が大きいと感じた。
話すとは、放すこと。一度自分の中から出して見るだけで、客観視できることもある。

 

面と向かった時しか話せないこともある。

 

復興の段階は地域によって大きく異なる。

地域性も大きく異なる。
たくさんの藩が寄せ集まった福島県のそれぞれの地域で歴史が異なる。

だからこそ、話せることもあるように思うし、
面と向かって知り合えることも多い。

今という時だからこそ。

 

特に私の住む川内村から見ると、開催された浪江町も都会だ。
人が少ないとは言え、立派な町役場庁舎には驚く。

たまに村の外に出ると驚くことや、気づきもまた多い。
情報や流通だけでなく、人の往来が少ないことが地政学的にも影を及ぼす。

 

さらに一歩進めれば、
双葉郡が、震災・原発事故で人口減少が早まった地域という見方をすれば、
早かれ遅かれ、どこにでも起こりうる話。他人事ではなくなる。
どの地域も、ひとつながりの、同じ構造の問題を抱えている。

 

智慧を集めることはすぐにはできない。

まして、力技でエイヤとやれないことは現実を通して知るところ。

 

歴史を振り返れば、江藤新平の大風呂敷の話がある。

関東大震災後の東京の街づくりについて江藤は大風呂敷を広げた。

予算の都合上全てを実現したわけではないが、

明治神宮のような手入れをせずとも木々が生育する森のような公園づくりは

本多静六が森林学者としての知見を発揮し、

今でもその恩恵を預かっている。
当時の復興は比較的トントン拍子に進んだのは、トップダウンが成立した時代だったから。

 

しかし、現代はそのトップダウンが通用しない。

今までのやり方が通用しないというのは難しい時代でもあるが、

新たなやり方を見つける・生み出す喜びもまたある面白い時代でもある。


その意味でもフロンティア(未開拓領域)が広がっているわけだが、アメリカ人の使うフロンティアとは異なる。
それは十字軍の頃から、さらにはローマ帝国奴隷制の頃からの延長線上にのものだったが、
私のいうフロンティアは新しい価値観を見出せるという意味。
言い換えれば、ローマ帝国以来の価値観が極まって現代の状況が生まれ、政治・経済・科学・道徳等様々な分野で変化せざるを得ない状況を迎えつつある。

 

 

東洋の陰陽思想で考えれば、

 

陽極まって陰になる

 

まさにそれまでの状況が行くところまで行ったから、全く違う価値観が生まれるに違いない。

 

そして、それはこの地域の変化から波及するものと考えている。

 

長くなったが、

「福島って大変だよね」って見方で、今までは済んでいた。

一線を画した見方をせざるを得なかったし、それもまた必要だった。

これからは、「福島の状況から何か学ぶものがあるかもしれない」と見た方が面白いということ。
以前、「分断から統合へ」の内容で書いた。

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

その一つである隣同士であるはずの地域の分断が、

この「双葉郡未来会議」という広域連携で統合の方途を模索していると見受けた。
そうあってもらいたいと思った。
否、そうしたい。

 

今までは、自分の力でどうにもならないこともあった。

でも、自分の力を信じ、やり抜く時とも思う。


「どうなるか より どうするか」

 

実は人間の意志の力が問われている時代で、ノウハウでない時代でもあるのがまた面白い。