「縁」
2年前の8月、たまたま小幡さんと出会った。
休みの日に疲労困憊だったのに、吉川さんにわざわざ手伝いたいと言ったことから、
待ち合わせ場所の茂さんから行ってみろと言われて、
断ることもできたのに、のこのこ郡山へ。
大田さんが行く予定になっていたので、同行。
自分では知る由もなかった。
それは、東北食べる通信の車座座談会だった。
恥も構わず、その当時のつらい状況を話した。
かっこ悪かった。あの時の精一杯だった。
今思えば、
村を離れたいと思う2度目のピークでもあった。
その場にいた小幡さんは
「グランドにおりてこい」と話をした。
後から聞くと、高橋博之さんの話をしただけだったようだが、
その気持ちのこもった言葉に、ぐらぐらと心を揺さぶられた。
観客席の野次と一緒で、批判して自分だけ楽しようとしていた自分の姿勢・生き方を反省させられた。
小幡さんが土編集長を務める そうま食べる通信。
今回なんと私の職場、川内村・いわなの郷を特集して頂いた。
相馬地区だけでなく双葉郡含めた相双地域を守備範囲として当初から考えていたからで、その準備号を見ると「川内町」と記されて川内村のことは何も知らないことが一目で分かった。
確認のため、誌面の文章を見て驚いた。
こんなすごい文章で迫って頂いたと。
なにより、親方のことを知って頂くいい機会になった。
親方ひでさんも絶賛していた。
「小幡さんはすごい人だな〜驚いた。」
確認しないかもとの邪推は完全に外れたが、うれしかった。
そして、親方ひでさんと私がうつる表紙のキャッチコピーにまた涙した。
ただただ涙が流れて仕方なかった。
今回のそうま食べる通信2017年夏号は、
(私見ながらごめんなさい、博之さん)高橋博之さんを越えました!
暑苦しさだけでない。
その文章に魂が震えた。
写真は
その小幡さんに書いて頂いた色紙。
伝説?のアクシデント直前に筆を執って頂く。
言葉はあの中村文昭さん。
講演でしきりに話をされる台湾の話。
台湾にはむしろ日本精神(リップンツェンシン)が残っていると言う。
この話は、
いわきの鈴木さんに講演音源を教えて頂いたからだった。
東北の地にこそ日本精神は残っているかもしれない。
最近はそう感じている。
中村氏の生き方自体も西洋的でない、日本的な道の拓き方だ。
リアルインサイトで知った
読書のすすめの清水店長は、現代日本は何に学んだらよいかについて。
一度目は、仏教伝来の頃 中国に学んだ。
二度目は、明治維新の頃 欧米に学んだ。
三度目は、現代 昔の日本人に学ぶときだと。
車座座談会は人が円形をつくって上下貴賤なく語る。
循環の輪も円を連想させ、どこか一つが強くなることでは成り立たない。
高橋博之さんは「都市と地方をかきまぜる」の著書名通り空間の循環も構想され、それを東北食べる通信で生産者と消費者を直接つなぐ実践もし、仕組みもつくった。
どれも円であり、縁だ。
そして、どうにも説明がつかないのもまた縁。
出会いの一つが欠けても、そうま食べる通信の誌面にいわなの郷が載ることはなかったかもしれない。
縁は必然であり、運命の輪、「車輪」を下支えするものだ。
時に運命に流されながらも、主体的に生きる意志のもとに、縁も生まれる。
言い換えれば、グランドにおりる覚悟あってこそ縁も生かせる。
中村文昭さんのこの言葉も
小幡さんの生き様を通して立体的に知ることができる。