japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「金か夢か」

 

 

BGMはこちら

 

http:// https://www.youtube.com/watch?v=2jIzDiAbI0o




個人的には懐かしい曲。

 

 

 

 

金のために自分を犠牲にして生きていくものだと思って来たけど、

挫折も経験して、

一度チャラにして見つめ直そうと考えた。


ここ川内村移住が一つの契機。

 

 

 

いわなの郷で働くようになったのは大きかった。

村の人たちの姿がよくわかるようになった。

 

「金」と口には出すけど、

金のために生きてる人は皆無といってよかった。

 

きっと首都圏でも同じだったけど、

私が気づいてなかっただけ。

自分の色眼鏡でしか見られなかった。

 

その後、炭焼きの面白さと可能性を知ってしまった。


川内村炭焼きプロジェクト

 

夢ともいうべきものを持ってしまった。

 

 

金のためなら、やらない。

でも、金にもなるに違いない。

 

金か夢か

二項対立で物事を見ていただけだった。

 

 

二項対立といい、

二元論という

正しいか正しくないか

善か悪か 等々。

これはわかりやすい。

 

 

でもちょっと違う。

 

先日から読み始めた老子の本

ブログでも紹介

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 




老子を解説した本は何冊も読んで来た。

今回は感じ方がずいぶん違う。

 

第二章

養身第二

には二項対立・二元論の愚かさについて書かれている。

 

天下皆美の美たるを知る、斯れ悪のみ。

 

満開だった桜も

「美しい」というのも、相対・対比で言っている。

 

比較し、相対して観るのは、そのものの真の姿を見落としてしまいがちだ。

 

著者の田口氏は解説する。

その個性を尊ぶことだと。
そこにこそ、二元論を乗り越える「道」があるように感じた。

 

 

 

金か夢か

その二元論で語るのは簡単だけど、本質はつかない。

 

なぜなら、人を愛する美しい気持ちも 嫉妬や物欲といった醜い心も

同じ「道」から発していると田口氏は述べている。(體道第一)

 

であるなら、二元論にしようとすること自体が間違っている。

もっと根源的な見方をしよう。

 

 

 

尾崎豊シェリーには

「金か夢かわからない暮らしさ」

と歌われている。

 

それがむしろ本質だ。

 

金であり、夢である。

その先に目指すものがあれば、それで良いではないか。

 

司馬遷の「史記」には、老子孔子を叱る記述がある。

曰く、

「人より優れよう、なんでもやろう、威厳を示す姿勢、人より上回ろうという志を排除せよ」と。

孔子の思想には見え隠れするものかもしれない。

否、私がそうだったから余計に老子に心酔するのだ。

 

上善水の如しのくだりのある「易性第八」には、水のように生きることと記される。

これは孔子の発想にはない。また、現代の生き方にもない。


水のように生きる
これがいまいち掴めなかったけど、
ヒントを得た気がする。

金か夢か
だけでなく
何事も
二元論を乗り越えた先に
掴めるものがあるんだと思う。

 

コツ塾との出会いと

 

コツ塾で学んで
私自身が随分変わった。

そのたくちゃん
野澤卓央さんのメルマガが4000回になった。

 

archives.mag2.com




たくちゃんが苦労された中から得たコツが私の人生にも効いた。

コツ塾がなければ、もしかしたら違った人生になっていたかもしれない。

 

今住む福島県川内村に、住み(炭)続けてはいなかっただろう。

 

 


何がそれほどに?と思われるかもしれない。

 


簡単に言えば
自己受容の大切さを学んだ。

 

自分を否定して成長することばかりを考えてきた。

向上心とも言えるけど、こればかりではバランスが取れない。


自己受容とは、

どんな自分も受け入れるということ。

それは、ダメな自分も、醜い自分も、自分の中にあっていいと思うこと。

 

受容といい、受け入れるといい、

全くそれまでは、分からなかった。

 

ダメな自分を醜い自分を自分の中に存在することを許すという発想がなかった。


それらを一つ一つ許していった。

これまでの努力と真逆。
それまでは山を登るための努力を必死にやってきた。
コツ塾で学んだことは、山を降りる努力。

やったことのなかった自分には、とても難しいことだった。


でもやり続ければできるようになる。

 

これもたくちゃんから学んだことでもあるし、

4000回のメルマガ継続での変化をたくちゃんの姿を通して見ている。

800回あたりの危機の話を聞いた。

もしやめていれば、当たり前だけど、4000回には達しない。

周囲の変化もなかった。


これからもたくちゃんの継続と変化とコツとを
学んでいきたい!

 

 

 

 

 

「老子の智慧」

 

 

老子について書かれた本はずいぶん読んできたが、

改めて

田口佳史(よしふみ)氏の

「ビジネスリーダーのための老子道徳経講義」を読んでいる。

https://www.amazon.co.jp/ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義-田口佳史/dp/4800911354/ref=sr_1_11?s=books&ie=UTF8&qid=1524822027&sr=1-11&refinements=p_27%3A田口+佳史

 

 

 

 

孔子の考えをずっと学んできて、

老子に出会ってから衝撃を受けた。

孔子の考えは捨てようとさえ考えたことを思い出す。

 

 

この著書は

今まで読んだ老子本とは全く違った印象。

 

言葉一つ一つが厳選されているからかと感じる。

 

その中から一つ紹介。

 

 

「還淳第十九」には

 

聖を絶ち智を棄つれば、民利(みんり)百倍す。

仁を絶ち義を棄つれば、民(たみ)孝慈(こうじ)に復(ふく)す。

巧を絶ち理を棄つれば、盗賊(とうぞく)有る無し。

 

とある。

 

著者の解説はこんな感じ。

 

聖人になれ、智恵者になれと言われ続けると、逆を目指すようになる。

仁だ義だと強く要求するより、良心を発揮させた方が親孝行の情は生まれやすい。

技巧や利益を唯一最大の功績と賛美しすぎると、そこまでの力がない人は他人の物を盗んで帳尻を合わせようとする。 

 

 

 

現代のことのようだ。

 

聖人君子でない役職者は辞任させられる。

道徳心のない人を徹底的に叩くことは悪くない。

仕事では利益を問われ、要領よくできるかどうかが評価基準になる。

前回のブログとも通じる

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

 

老子は具体的な実行目標として
「見素抱朴(けんそほうぼく)・少私寡欲(しょうしかよく)」
見栄、見てくれ、外聞などの外の評価を一切気にせず素朴、朴訥を旨として飾らず自分をそのまま表し、私欲私情を少なくして生きよ

 

できそうでできないことだ。
人に求めることではないから、自分はやってみよう。

 

翻って、
3つの「・・を絶ち・・棄つれば、」云々は私自身を省みさせられる。

うまくいかなかった過去は、この言葉どおりだったから。

 

 

危険だ

 以前、
思考停止の危険性について書いた。

japan-energy-lab.hatenablog.com

 


近頃のニュースを見ていると
加速しているように感じる。


危険だ。


プロパガンダは、別にアノ時代だけの話ではない。



生き抜け、生きて残れ・・・

生き抜け、生きて残れ、会津の国辱雪(そそ)ぐまでは生きてあれよ。ここはまだ戦場なるぞ

shibayan1954.blog101.fc2.com
こちらを読んで胸熱くする。

 

そうだ!



生き抜け、生きて残れ、会津の国辱雪(そそ)ぐまでは生きてあれよ。ここはまだ戦場なるぞ

 

私も気持ちを奮い立たせて!