japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村で移住5年半。いわなの郷で働きつつ、日本一だった炭焼き復活を期す川内村炭焼きプロジェクト、移住者だけでなく新たな場作りを考えるCafe學校〜サロンde川内〜を主宰。本ブログでは、炭焼きPJを中心に成長の観点で好き勝手に書いています。

「変わらなければ」を変える 〜2018−19②〜

 

 

前回の続き。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

自分は必死に変わらなければと

肩に力を入れて、必死になって自分が変わる努力をしてきた。

 

一定の変化を得た。

 

でも、不思議なものでこの意識だけは変わらない。

それは、母に対して「変わらなければ」を当てはめていたことに気づく。

 

これも年末年始の話。

 

私の親戚連中の新年会は最近行われてない。
(もっとも私はもう20年くらい出ていないんだけどね)

 

だけど、次女である母の姉(長女、私から見たら叔母)の家族は新年会をするというので、

その時に姉の家でとれた野菜をもらいにいくことにした。

(まあ、わたしは野暮用で同行しなかったんだけどね)

 

 

前提として、母と叔母(母の姉)は

まあ仲が悪い。

母も74になったんだけど、子どもの頃からずっとケンカしっぱなしだ。

母は相手の言葉にかっとしやすいことを知っている叔母は、
(私から見ると)わざと嫌がることを言う。

だから必ずケンカになるのだ。

 

母が行ったら、場所が変わって叔母の家で新年会。

タイミング悪く二人が鉢合わせになり、ケンカが始まったという。

興奮したのか、母は立てなくなったと言う。

もっとも、昨年まで1年ほど入院してたから体調もまだまだ本調子じゃない。

 

あとでその話を聞いた。

 

よくよく考えたら、これは喜ぶことだと。

 

つまり、母は退院してまだ日がないけど、ケンカできるほど元気になった。

そして、ケンカは一つのコミュニケーション。

別に嫌な思いするくらいで減るものでは無い。

あの世に行ったら、ケンカもできないじゃないか!

 

母に変わってほしいと思い続けてきた。

それは母にされた嫌なこともあったけど、今となっては私の問題。

それをてこに人を責めてもはじまらない。

 

むしろ、母には幸せになってほしかった。

そのために変わってほしいと。

 

でも、それは私の傲慢だった。

 

変わらなくていい。

今のままで十分じゃないか!

 

完璧になる必要なんかない。

むしろ不完全なまま幸せになろう。

 

そんなことを考えながら、家族で食べた夕食はただただうれしかった。

涙が出るほどうれしかった。

 

家族そろってメシが食える。

これ以上の幸せがあるだろうか?

私自身もそうだ。

もう「変わらなければ」を変えよう。

 

 

 

このまま突き進もう!

そうだ

今年はイノシシ年。

 

イノシシに何度か車でぶつかってわかった。

奴らは前に進むばかりだ。

バカかもしれないけど、イノシシはイノシシであることをやめない。

 

イワナ

ただ愚直に上流を目指して2mくらいの段差も飛び跳ねる。

 

愚直に生きたらいい。

上手に生きられないんだから。

 

「変わらなければ」を変えよう。

ありのままでいい。

そこを受け入れられたら最強だ!

 


アツくなり過ぎました(^人^)