japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「ゴニョゴニョづくり」



相馬で高橋博之氏の話をお聞きする。
尊敬する小幡広宣さんがFBであげていたのを見て発心。

そうま食べる通信過去号も並ぶ。

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多岐にわたる話だったが、

都市と田舎をかきまぜた活動で、

都市のツルツルとした関係性に物足りなさを感じるなか、

田舎のゴニョゴニョとした関係性に居心地の良さを覚えている。

 

昔は田舎の濃密な関係性がうざったかったはず。

私とて、親戚づきあいは大嫌いだった。

 

それで都会的な生活をして、寂しさは消えなかったし、

まあ、田舎でも寂しい時はある。

ただ、一人の時間 孤独を楽しめるようになってきたし、気心の合う人との時間は濃密でもありながら、ゴニョゴニョとした時間も過ごせる。

 

ここにヒントがあった。

 

これから、いわなの郷にしろ、川内村に人が来た時にいかに
ゴニョゴニョ

をつくれるか。

 

言い換えれば、場所との関わり以上に人との関わりをつくること。

 

今までのような観光案内マップのようにはいかないが、

ゴニョゴニョを作り出そう。

 

小幡さんにはホテルの手配と獺庭さんによる送迎手配までしていただいた。

7月の相馬での海びらきとお祭り、また海の家。

何かしらお手伝いしたい。
有志の資金援助にもいくらか参加させていただいた。

 

海の男たちゆえの人間関係。

海では一瞬遠慮したら一日売上がまったく変わってしまう世界。

いかに自己主張するかが大切。

それゆえの喧嘩もあったようだが、震災を経て新たな関係性に

そうま食べる通信は貢献している。


風評被害なんて言って悩んでいる人たちは

そうま食べる通信メンバーに会ったらいい。

きっかけを得るとともに、何か悩んでいた自分もバカバカしくなるに違いない。

私もそうだったように。

ちなみにこちらも是非!

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最後に
博之さんに

「まだいるの?」

「変態だなあ」

最高の褒め言葉をもらってしまった。

 

確かに変態なのだ。
変態は大変だけど、必ず大きく変わる!


「歴史から未来が変わる」

 

 

 

前回の続き。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

東北の歴史について

というより

日本の歴史について
驚くような説を唱える方がいた。

 

毎週日曜配信のこちらのメルマガ

 

 

「国際派日本人養成講座」

 

No.1066 日高見国の物語 ~ 田中英道著『日本国史』から

http:// http://blog.jog-net.jp/201806/article_2.html

 




紹介されている田中英道氏の説です。

 


日高見(ひだかみ)国がその昔東北・関東にあって、

神武東征は実はここからぐるっと回って九州に行ったのだという。

 

にわかには信じられない話だが、それも現代の常識にとらわれているからかもしれない。

 

竹内文書というものがあり、その中にはモーゼもキリストも日本から行っていて、事実キリストの墓は青森県に存在する。

 

全く異なる歴史が解き明かされるかもしれない。

 

歴史が変わることは、そのまま未来が変わること。

 

明治維新前には、歴史が流行した。

水戸光圀大日本史日本外史と行った歴史書には、

当時武家の筆頭の徳川が日本を支配していると当たり前のように考えていたが、

あくまで征夷大将軍の徳川についての記述を、天皇陛下の記述に比べて、一段下げて書いている。それは、あくまで天皇の下に武家の徳川がいることを発している。

その背景があって、尊王攘夷が最終的に支持されたわけだ。

 

日高見国も定かではないが、茨城県あたりにあった可能性を解き、

水戸藩水戸光圀の存在とも符合する部分がある。

今歴史が流行っている。
自虐史観ではまだ片手落ち。
今後未来を作る歴史が形成されるものと思う。

 

 

 


なお、ロシア在住の北野氏のメルマガも参照ください。

archives.mag2.com

 

 

 

「分離から統合へ 〜あやしい話〜」



 

解禁。
といっても以前から小出しにしてきました。

 

 

こちらの本を読む

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天外伺朗氏が著作。

 

ソニーでCDやAIBOの開発を主導したあの方だ。

 

現在は生前葬?も済ませ、一度本名の方は死んだこととして

天外伺朗として活動されている。

 

コツ塾で学んだ際もよく話に出て、
今でも実践する「鳥の瞑想」は氏の発案という。

 

また、競争に勝っていても幸せを感じられず苦しい中で仕事をされていたことは、

幸せとは何かを考える大きなきっかけになった。

 

 

さて、

私は福島県川内村に来て、この土地があまりにも関東の文化とかけ離れていることにずっと不思議な感覚があった。

様々な方から話を伺って、今は東北という土地は古代からずっと守り続けている精神性があると認識している。

 

それは食べ物がわかりやすい。

基本自給自足で、野山のものを今でも大切にしている。

きのこも山菜もいわなだってそうだ。

関東に暮らしていた時は考えたこともなかったこと。

 

関東の人は戦後の変化に適応して来たけど、

東北人はこと山菜・きのこといった食べ物を捨てたりしなかった。

その文化を支えているものこそ精神性であり、文化だ。

 

おそらく歴史背景から違うと思って来た。

 

例えば、東北青森の三内(さんない)丸山遺跡は縄文時代(数千年前でよかったか?)、数千人(だったか?)の集落を有していて、当時としては大都市といって良い。

しかしながら、現代日本で東北を大都市とは言えない。

三内丸山遺跡の頃から現在までの間に、大きな変化があったはずだ。

 

 

その一つに、

坂上田村麻呂による蝦夷征伐があると私は考える。

もちろん現代の通説では、

蝦夷のトップの阿弖流為アテルイ)が坂上田村麻呂に負けたことになっているが、

何かそこに疑念を持っていた。

 

そこには直接関係ないが、

天外氏は

とある宮司さんにこう言われたと書いている。


「はるか昔、この日本列島は至る所にアイヌが住み着いていた。大和民族(和人)はそれと戦って北海道まで追い上げていったのだ。

 神戸、水戸、八戸など”戸”がつく地名は、虐殺されたアイヌの怨念が封印されている場所だよ。この洞戸もそのひとつだ。

 あなたたちの祈りで、この場所の封印はかなり解けてきた」

 

「日本の建築には、東北を鬼門と称して結界を張る様式があるが、あれは東北からのアイヌの怨念を封じるためなのだ。徳川家康は、日光東照宮を建設して自ら神となったが、東北からの怨念が江戸に入らないように守ろうとしたのだ。

 いま、その怨念が日本中で解放されつつある。もういまでは、東北の鬼門に結界を張る必要がなくなってきている。日本古来の伝統も変わらざるを得ないご時世になってきた。」

 

それで、一つ一つ怨念を解くために

天外氏は著書の通り、日本列島祈りの旅をはじめたという。 

 

大和民族アイヌを虐殺して怨念を残したことは、なんとなくそうだとも思うものの、

その怨念の封印を解くことで、

⑴東北の鬼門に結界を張る必要がなくなるか

⑵日本古来の伝統が変わらざるを得なくなるか

の2点はにわかには信じられない。

 

怨念が残したものは分離で、日本各地で怨念が封じ込められてきて、

こと東北にはたくさんの怨念が残っていた。

一戸から九戸まであることなどを考えれば合点も行く気もする。

東北の鬼門に結界を張ったせいで(おかげで)、文化も古いまま残された可能性もある。

 

また、

現代になってその怨念が解け始めているとしたら、その分離のエネルギーも変化するし、

日本古来の伝統が変わるというのも、分離から統合へ向かうのなら、決して悪いことではない。

 

著書では空海ほどの人物が、その怨念を封じ込めてきたのは、意味があるのではないかと触れられている。分離を推し進めてきた意図はあったのかもしれない。

 

一方で、天外氏の生き方を見ても分かる通り、勝つための努力は際限がない。

これで良いというのがないなら、ゴールのないマラソンを走り続けるようなもの。

 

戦乱の世は勝ち負けがはっきりするという意味では、分離も一つの方向性だったのかもしれない。それは、日本は分断統治されていると指摘する方もいる。

領土的にはアメリカに、精神的には旧ソ連に分断したという方もいる。

この議論は深入りしないが、
確かに二項対立がはびこり、その立ち位置に固執して、その先に進めない状況がある。
(厳密には進みたくないケースも多いが)

 

 

分離の最大のものが戦争だが、核兵器誕生後は戦争イコール地球滅亡でもあるわけだから、いつまでも戦をしている場合ではない。国が会社、個人レベルになっても同じことが言えるはずだ。

 

また、東北は戦には頓着せずに来た精神性が垣間見れる。

判官びいきが過ぎるかもしれないが。

分離が統合に向かっているとしたら、

今まで以上に良い時代が待っているとも言える。

 

 

私はにわかに信じられない
⑴東北の鬼門に結界を張る必要がなくなる

⑵日本古来の伝統が変わらざるを得なくなる

もあり得るのかもしれない。

 

AI化に伴ってBI ベーシックインカムが導入されると、

伝統、特に道徳は変わる。

 

「働かざる者食うべからず」

 

これは過去の遺物になる。その延長で考えるとありえない話でもないかなと思う。

 

 

分離については二項対立・二元論と関係があるように思うが、

また別の機会に記してみたい。

 

「『その時』を待つ」

 

 

久しぶりに

 

炭焼きプロジェクト エピソード4「炭焼場」

 

いつの間にか
エピソード4です。

ちなみに時系列を紹介した過去記事はこちら


 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 


エピソード3から4へも参考まで
 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

 

昨日2018/06/12

栃木の茶炭を生産している方のところへ。

川内村の炭を復興の象徴として販路を提供しようとされた方がいました。

残念ながら、その方は村から離れましたが、

昨日お会いした炭焼きさんを紹介いただいたのは、ありがたい限り。

その方も私のことを心配してくれたからこそととらえている。

 

茶炭は茶道に使う炭。

お茶の席で使う茶炭は今焼ける方が減っていて、お茶の世界では困っているという。

 

大小おりまぜた規格の炭は

夏冬で長さが異なるものを使うこともあり、

全ては基準を満たすのは難しいものの

付加価値としては上がる。

 

ある意味では1次産業に特化して来た炭焼きを

6次化しようとされている。

 

研究を重ねた炭窯は
初めて見る形。

 

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窯ぶちの作業を省けるのが画期的。

 

 

また、冬場に必要分を出して保管。

春夏に茶炭として出荷できる形に切りそろえるという。

 

また、ナラばかりだった山を炭で焼くクヌギを植林されている。

ナラは日陰でも育つが、クヌギは日陰だと育ちが悪い。

場所をみながら、日向にクヌギを日陰にならという具合だ。

 

山を買うのでなく、管理と伐採まで行う契約もされている。

山を管理するのは将来を見越して行う必要がある。

通常のナラで20年。

クヌギのお茶炭用で7~10年。

植えてもすぐ結果にはならない。

 

また、

炭焼き産業の将来を憂えておられるお一人でもある。

正直お金になりにくい林業だが、工夫を凝らして行なっている。

6次化的展開もその一つだし、木酢液も行われているのもまた一つ。

林業だけで生計を立てておられるが、林業の中でも色々なチャンネルを持っている。

 

茶炭を焼いている方たちのネットワーク作りにも腐心されている。

どうしても炭焼きさんは自分が一番と思っているので対立もしやすい。

それもよくわかる話。

誇りを持っていなければ続けられない。

とはいえ、将来を見据えて業界全体のことを考えている方に出会えて刺激的な時間となった。

 

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こんな感じで火を見ながら話をする。

 

将来必ず炭焼きをやる。

といって時間ばかりが立ってしまったが、今は家康になる時。

要は時を待つということ。

 

口ばっかりだと非難を受けながらも

「その時」を待つ。

 

そして将来は茶炭の生産を行い、一人仕事を持てれば、一人この地に住む人も増やせる。

 

上手にできなくていい。

 

ともかく、今できること、準備をしながら、「その時」を待つ。

 

Cafe學校 〜サロンde川内〜 第18回  取材入ります。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 6月26日(火)18時〜 CafeAmazon

河北新報の取材が入ります。

苦手な方には配慮いたしますので、
気をもまずにお越し下さい!

逆に
取材受けたい方はアピール下さい!


ともあれ
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<河北新報120年>次世代へ東北像提案 | 河北新報オンラインニュース

この東北の道しるべはすごい!