japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村で移住4年半。いわなの郷で働きつつ、日本一だった炭焼き復活を期す川内村炭焼きプロジェクト、移住者だけでなく新たな場作りを考えるCafe學校〜サロンde川内〜を主宰。本ブログでは、炭焼きPJを中心に成長の観点で好き勝手に書いています。

「分離から統合へ 〜あやしい話〜」



 

解禁。
といっても以前から小出しにしてきました。

 

 

こちらの本を読む

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天外伺朗氏が著作。

 

ソニーでCDやAIBOの開発を主導したあの方だ。

 

現在は生前葬?も済ませ、一度本名の方は死んだこととして

天外伺朗として活動されている。

 

コツ塾で学んだ際もよく話に出て、
今でも実践する「鳥の瞑想」は氏の発案という。

 

また、競争に勝っていても幸せを感じられず苦しい中で仕事をされていたことは、

幸せとは何かを考える大きなきっかけになった。

 

 

さて、

私は福島県川内村に来て、この土地があまりにも関東の文化とかけ離れていることにずっと不思議な感覚があった。

様々な方から話を伺って、今は東北という土地は古代からずっと守り続けている精神性があると認識している。

 

それは食べ物がわかりやすい。

基本自給自足で、野山のものを今でも大切にしている。

きのこも山菜もいわなだってそうだ。

関東に暮らしていた時は考えたこともなかったこと。

 

関東の人は戦後の変化に適応して来たけど、

東北人はこと山菜・きのこといった食べ物を捨てたりしなかった。

その文化を支えているものこそ精神性であり、文化だ。

 

おそらく歴史背景から違うと思って来た。

 

例えば、東北青森の三内(さんない)丸山遺跡は縄文時代(数千年前でよかったか?)、数千人(だったか?)の集落を有していて、当時としては大都市といって良い。

しかしながら、現代日本で東北を大都市とは言えない。

三内丸山遺跡の頃から現在までの間に、大きな変化があったはずだ。

 

 

その一つに、

坂上田村麻呂による蝦夷征伐があると私は考える。

もちろん現代の通説では、

蝦夷のトップの阿弖流為アテルイ)が坂上田村麻呂に負けたことになっているが、

何かそこに疑念を持っていた。

 

そこには直接関係ないが、

天外氏は

とある宮司さんにこう言われたと書いている。


「はるか昔、この日本列島は至る所にアイヌが住み着いていた。大和民族(和人)はそれと戦って北海道まで追い上げていったのだ。

 神戸、水戸、八戸など”戸”がつく地名は、虐殺されたアイヌの怨念が封印されている場所だよ。この洞戸もそのひとつだ。

 あなたたちの祈りで、この場所の封印はかなり解けてきた」

 

「日本の建築には、東北を鬼門と称して結界を張る様式があるが、あれは東北からのアイヌの怨念を封じるためなのだ。徳川家康は、日光東照宮を建設して自ら神となったが、東北からの怨念が江戸に入らないように守ろうとしたのだ。

 いま、その怨念が日本中で解放されつつある。もういまでは、東北の鬼門に結界を張る必要がなくなってきている。日本古来の伝統も変わらざるを得ないご時世になってきた。」

 

それで、一つ一つ怨念を解くために

天外氏は著書の通り、日本列島祈りの旅をはじめたという。 

 

大和民族アイヌを虐殺して怨念を残したことは、なんとなくそうだとも思うものの、

その怨念の封印を解くことで、

⑴東北の鬼門に結界を張る必要がなくなるか

⑵日本古来の伝統が変わらざるを得なくなるか

の2点はにわかには信じられない。

 

怨念が残したものは分離で、日本各地で怨念が封じ込められてきて、

こと東北にはたくさんの怨念が残っていた。

一戸から九戸まであることなどを考えれば合点も行く気もする。

東北の鬼門に結界を張ったせいで(おかげで)、文化も古いまま残された可能性もある。

 

また、

現代になってその怨念が解け始めているとしたら、その分離のエネルギーも変化するし、

日本古来の伝統が変わるというのも、分離から統合へ向かうのなら、決して悪いことではない。

 

著書では空海ほどの人物が、その怨念を封じ込めてきたのは、意味があるのではないかと触れられている。分離を推し進めてきた意図はあったのかもしれない。

 

一方で、天外氏の生き方を見ても分かる通り、勝つための努力は際限がない。

これで良いというのがないなら、ゴールのないマラソンを走り続けるようなもの。

 

戦乱の世は勝ち負けがはっきりするという意味では、分離も一つの方向性だったのかもしれない。それは、日本は分断統治されていると指摘する方もいる。

領土的にはアメリカに、精神的には旧ソ連に分断したという方もいる。

この議論は深入りしないが、
確かに二項対立がはびこり、その立ち位置に固執して、その先に進めない状況がある。
(厳密には進みたくないケースも多いが)

 

 

分離の最大のものが戦争だが、核兵器誕生後は戦争イコール地球滅亡でもあるわけだから、いつまでも戦をしている場合ではない。国が会社、個人レベルになっても同じことが言えるはずだ。

 

また、東北は戦には頓着せずに来た精神性が垣間見れる。

判官びいきが過ぎるかもしれないが。

分離が統合に向かっているとしたら、

今まで以上に良い時代が待っているとも言える。

 

 

私はにわかに信じられない
⑴東北の鬼門に結界を張る必要がなくなる

⑵日本古来の伝統が変わらざるを得なくなる

もあり得るのかもしれない。

 

AI化に伴ってBI ベーシックインカムが導入されると、

伝統、特に道徳は変わる。

 

「働かざる者食うべからず」

 

これは過去の遺物になる。その延長で考えるとありえない話でもないかなと思う。

 

 

分離については二項対立・二元論と関係があるように思うが、

また別の機会に記してみたい。