japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村に2013年移住。いわなの郷で働いております。炭焼き・移住促進・成長への興味を元に、全てのエネルギーの活用を研究することを建前に、本ブログでは成長の観点で思いのままに書いています。

「金か夢か」

 

 

BGMはこちら

 

http:// https://www.youtube.com/watch?v=2jIzDiAbI0o




個人的には懐かしい曲。

 

 

 

 

金のために自分を犠牲にして生きていくものだと思って来たけど、

挫折も経験して、

一度チャラにして見つめ直そうと考えた。


ここ川内村移住が一つの契機。

 

 

 

いわなの郷で働くようになったのは大きかった。

村の人たちの姿がよくわかるようになった。

 

「金」と口には出すけど、

金のために生きてる人は皆無といってよかった。

 

きっと首都圏でも同じだったけど、

私が気づいてなかっただけ。

自分の色眼鏡でしか見られなかった。

 

その後、炭焼きの面白さと可能性を知ってしまった。


川内村炭焼きプロジェクト

 

夢ともいうべきものを持ってしまった。

 

 

金のためなら、やらない。

でも、金にもなるに違いない。

 

金か夢か

二項対立で物事を見ていただけだった。

 

 

二項対立といい、

二元論という

正しいか正しくないか

善か悪か 等々。

これはわかりやすい。

 

 

でもちょっと違う。

 

先日から読み始めた老子の本

ブログでも紹介

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 




老子を解説した本は何冊も読んで来た。

今回は感じ方がずいぶん違う。

 

第二章

養身第二

には二項対立・二元論の愚かさについて書かれている。

 

天下皆美の美たるを知る、斯れ悪のみ。

 

満開だった桜も

「美しい」というのも、相対・対比で言っている。

 

比較し、相対して観るのは、そのものの真の姿を見落としてしまいがちだ。

 

著者の田口氏は解説する。

その個性を尊ぶことだと。
そこにこそ、二元論を乗り越える「道」があるように感じた。

 

 

 

金か夢か

その二元論で語るのは簡単だけど、本質はつかない。

 

なぜなら、人を愛する美しい気持ちも 嫉妬や物欲といった醜い心も

同じ「道」から発していると田口氏は述べている。(體道第一)

 

であるなら、二元論にしようとすること自体が間違っている。

もっと根源的な見方をしよう。

 

 

 

尾崎豊シェリーには

「金か夢かわからない暮らしさ」

と歌われている。

 

それがむしろ本質だ。

 

金であり、夢である。

その先に目指すものがあれば、それで良いではないか。

 

司馬遷の「史記」には、老子孔子を叱る記述がある。

曰く、

「人より優れよう、なんでもやろう、威厳を示す姿勢、人より上回ろうという志を排除せよ」と。

孔子の思想には見え隠れするものかもしれない。

否、私がそうだったから余計に老子に心酔するのだ。

 

上善水の如しのくだりのある「易性第八」には、水のように生きることと記される。

これは孔子の発想にはない。また、現代の生き方にもない。


水のように生きる
これがいまいち掴めなかったけど、
ヒントを得た気がする。

金か夢か
だけでなく
何事も
二元論を乗り越えた先に
掴めるものがあるんだと思う。