風
18年春 復興創生インターン(郡山ブロック) 成果報告会
こちらに参加。
意義深い時間となった。
自分に力があることを証明したかったけど、力の無さを証明した。
住民向けの活動報告会に参加者がいなかった。
人にさえなかなか会えない。
といった厳しい現実の中に、希望の種もまた見出したチームには心動かされた。
成果発表というと、できたことを語る場かもしれないけれど、
できなかったことを堂々と語る彼らの姿に、むしろこれからの希望を感じさせられた。
学生の思考がどんどん深まる様子もまた感じられたし、
できる・できないといったこと以上の「何か」をつかめる可能性もまたあった。
是非私もインターン生を受け入れたいと思った。
私の所属する
いわなの郷等を運営するあぶくま川内で。
そのためには、受け入れ体制を整える必要がある。
それこそ
何をしたいか。
何のためなのか。
どんな貢献を求めるか。
等々
今の自分自身の課題にも向き合う必要がある。
現状も受け入れつつ、新たな展開も視野に入れていく。
ある方は「風」という言葉をよく使う。
その気持ちがわかる思いだ。
「風」が吹けば桶屋が儲かる。
なんてたとえは悪いけど、影響は大きいはずだ。
フランクルの問い
こんな本を読んだ。
フランクル氏の本は読んだことがない。
コツ塾では、
「人生から問われていることは何か」という形で紹介頂いたことがある。
自分という人生から私個人に対して問われているものはきっとあるはずだ。
それが個別性のある人生だし、人の宿命のそれぞれもまた実感する。
上の本の著者は、実体験としてフランクルの問いかけに対して真摯に向き合う。
死という逃れられない現実が、迫り来る性の限界を明確にもするのだと思う。
佐藤伝氏から紹介された
究極の質問とはこの3つ。
⑴私は、この人生で今何をすることを求められているのか。
⑵私のことを本当に必要としている人は誰か?そして、その人はどこにいるか?
⑶その誰かや何かのために、私にできることには何があるのか?
この質問がぐるぐると回る。
この問いを時間をとりながら、考えていく。
週2時間は考える時間を取ることに決めた。
その中で見つけていく。
自分の人生
president.jp
自分の人生は
自分で決める
なんて
当たり前だと思ってきたけど、
自分で自分を縛っていたんだよなあ たかお
「(自分を)変える」
先日出てきた信念(思い込み)は
「期待に応えなければならない」
「相手の言うとおりしなければならない」
この想いに2、3日の間、心の何処かが引っかかっていた。
改めて
信念の書き換えを行う。
上記の信念は言い換えれば
「自分の人生を生きてはいけない」
ということ。
これをコツ塾で教わったやり方 信念の書き換えを行う。
やり終えて、スッキリした気持ちになる。
誤った信念、思い込みに自分が悩んできた。
一方で、自分を守ってきた。
どっちもあった。
信念を書き換えるということは
良いことばかりでなく、悪いことでもある。
つまり、自分の身を守る術も捨てるということ。
このような作業を
もちろんこのやり方だけでないけれど、
一歩一歩積み重ねてきた。
これからも問題に即して
自分を変えていくこと。
で、実は一発で変わらないから何度もなんども繰り返すこともある。
それでも続ければ変わるもの。変える意思さえあれば。
まだまだだけど、一歩一歩。
気づくだけで良いとも言う。
こちらを参照。
japan-energy-lab.hatenablog.com
人間の中にある偉大な力を大いに信じて
そして、21世紀になってから(だと思うけど)
見出された人間が変わる方法を使って、自分が変わることから外の世界に波及させていく。
自分の外にある家族、仲間、会社、地域、社会、日本、世界、宇宙。
イメージとしては同心円状に開かれるより大きな円に貢献できる自分になっていく。
最初のきっかけになったのは、
嫌な気持ち、不快感。
それが今までならただの嫌なことだった。
でも、それをきっかけに今まで気づかなかった自分を知る機会になる。
それは、嫌なことが成長のきっかけになることでもあるので、何も嫌なことがなくなることにもなる。
嫌な気持ち、不快感は一つのトリガー、きっかけだ。
これがあるから、人は成長できると考えれば、とても大切なものだ。
そもそも日本エネルギー研究所とは、
本来持っている個々に持つもの、関係性の中にあるものひっくるめた人間の持つエネルギーを、
自然界にある資源としての地球の、宇宙のエネルギーを、
活用していく術を研究し、実際生活に生かすことを目的と考える。
japan-energy-lab.hatenablog.com
その一つに炭焼きを活用する。
「あちらを立てればこちらが立たず」
越智さんの記事に感銘を覚える。
http://ieei.or.jp/2018/03/special201706016/
あちらを立てればこちらが立たず
なんて言ったら簡単だけど、発進とは本当に難しいものだと思う。
どう書いても、一面的な事実だ。事実と解釈を分けても、やはり印象の残し方で解釈としての伝わり方もある。
善悪、正誤といった二元論でバッサリできたら簡単だけど、そう簡単でない現実を目の当たりにしている。
二元論に相対する言葉として、一元論とか三証の理とかの言葉もあるが、私の言葉で言えば禅の発想。人間万事塞翁が馬の見方とも言えるが、今までの思考の軸では解決につながらない。現在の発想を乗り越える方法論は、すぐにはわからないけど、こういったことか。
⑴事実と解釈を分けて考える。
⑵事実を良い悪いなくとらえる。
⑶解釈を土台にした議論に気をつける。
とは言え形式の話。
もっと根本的な見方が必要だ。
三方よしを育てよう。