japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「『その時』を待つ」

 

 

久しぶりに

 

炭焼きプロジェクト エピソード4「炭焼場」

 

いつの間にか
エピソード4です。

ちなみに時系列を紹介した過去記事はこちら


 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 


エピソード3から4へも参考まで
 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

 

昨日2018/06/12

栃木の茶炭を生産している方のところへ。

川内村の炭を復興の象徴として販路を提供しようとされた方がいました。

残念ながら、その方は村から離れましたが、

昨日お会いした炭焼きさんを紹介いただいたのは、ありがたい限り。

その方も私のことを心配してくれたからこそととらえている。

 

茶炭は茶道に使う炭。

お茶の席で使う茶炭は今焼ける方が減っていて、お茶の世界では困っているという。

 

大小おりまぜた規格の炭は

夏冬で長さが異なるものを使うこともあり、

全ては基準を満たすのは難しいものの

付加価値としては上がる。

 

ある意味では1次産業に特化して来た炭焼きを

6次化しようとされている。

 

研究を重ねた炭窯は
初めて見る形。

 

f:id:japan-energy-lab:20180613181604j:plain

窯ぶちの作業を省けるのが画期的。

 

 

また、冬場に必要分を出して保管。

春夏に茶炭として出荷できる形に切りそろえるという。

 

また、ナラばかりだった山を炭で焼くクヌギを植林されている。

ナラは日陰でも育つが、クヌギは日陰だと育ちが悪い。

場所をみながら、日向にクヌギを日陰にならという具合だ。

 

山を買うのでなく、管理と伐採まで行う契約もされている。

山を管理するのは将来を見越して行う必要がある。

通常のナラで20年。

クヌギのお茶炭用で7~10年。

植えてもすぐ結果にはならない。

 

また、

炭焼き産業の将来を憂えておられるお一人でもある。

正直お金になりにくい林業だが、工夫を凝らして行なっている。

6次化的展開もその一つだし、木酢液も行われているのもまた一つ。

林業だけで生計を立てておられるが、林業の中でも色々なチャンネルを持っている。

 

茶炭を焼いている方たちのネットワーク作りにも腐心されている。

どうしても炭焼きさんは自分が一番と思っているので対立もしやすい。

それもよくわかる話。

誇りを持っていなければ続けられない。

とはいえ、将来を見据えて業界全体のことを考えている方に出会えて刺激的な時間となった。

 

f:id:japan-energy-lab:20180613181716j:plain

こんな感じで火を見ながら話をする。

 

将来必ず炭焼きをやる。

といって時間ばかりが立ってしまったが、今は家康になる時。

要は時を待つということ。

 

口ばっかりだと非難を受けながらも

「その時」を待つ。

 

そして将来は茶炭の生産を行い、一人仕事を持てれば、一人この地に住む人も増やせる。

 

上手にできなくていい。

 

ともかく、今できること、準備をしながら、「その時」を待つ。

 

Cafe學校 〜サロンde川内〜 第18回  取材入ります。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 6月26日(火)18時〜 CafeAmazon

河北新報の取材が入ります。

苦手な方には配慮いたしますので、
気をもまずにお越し下さい!

逆に
取材受けたい方はアピール下さい!


ともあれ
河北新報といえばこちら

<河北新報120年>次世代へ東北像提案 | 河北新報オンラインニュース

この東北の道しるべはすごい!


魚心あれば水心

 

 


考えてみれば
初めてかもしれない。

私が働く

いわなの郷の話をする。

 

1995年にオープンしたので、

メールアドレスも
iwana1995sato@gmail.com

とした。

さてさて、
この時期は魚が死にやすい。

暑くなって水量も減り、雑菌が繁殖しやすく、病気になりやすいからだ。


先日、親方が休暇から戻ってきて、
病気になった魚の対応をする。

 

いわなの入っている水槽の水量を見て、

塩を入れる。

 

濃度と時間が計算されて行うわけだが、

このことで死ぬのも出てくる。

しかし、魚の生命力を信じてやるしかないし、

何もしなかったら死に続けるだけだ。

 

当然苦しそうにする。

心苦しくもなる。

 

ぼーっと魚を眺めていると、

普段は何もイワナイワナが話しかけてきた(ように感じた)。

 

いつもありがとう。

元気になった。

よく見てくれてうれしい。

 

なんて声が聞こえてきた。

涙が出そうになる。

 

大したことをしているわけではないが、

この水槽は休みも関係なく毎日掃除していた。

餌も当たり前のことだがやっていた。

 

でも、もっとよく見ていればよかったなんて気持ちもあった。

その必要はないのかもしれない。

荒療治ではあったが、だいぶ良くなった。

 

 

やはり、ここのイワナは最高だ。

イワナくても伝わる人には伝わる。

 

むしろ、私がもっと誇りを持っていいことに気づかされた。

川にいる天然物ならタダだ。

だから、高いという人もいる。

しかし、
養殖だからこそ、臭みのない美味しさを味わえる。

 

魚心あれば水心

 

人と人だけでない。

魚だってそうだ。

 

炭焼きだったら、木だってそうだと思う。

 

 

 

こういったことは
悪く取られかねないし、

私自身がアヤシイと思われかねないので、

イワナい方がいいかもしれないけど、

現実を、また自分を、この地を知ってもらいたいのであえて書いた。

 

どうしても綺麗なことだけで語りたいのも人情だけど、

清濁併せ呑んで捉えていきたいのだ。