japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「継続」



炭の蓄電器に取り組まれている里山照らし隊さんを訪問。
たたら製鉄では、大量の木炭を使用して行われる製鉄が行われ、大量の人手を役割分担され、

 

面白い!


気づいたこと、それらは継続、大きく見れば歴史の賜物だ。

あせる自分も何かバカバカしくも感じさせる。


以下、気づきの列記。

 


①町おこし

聞けば地元出身者が多く関わっている。一度出て戻ってきた人だけでなく、周辺で生活する方も巻き込んでいる。

もう昭和60年頃、バブル絶頂時代から6次化や3セクの取組をされていた。

それらも、平成の大合併からそのやり方も大きく変わったようだが、あくまで住民主体のようだ

炭の蓄電器もたまたまと言えばそれまでだが、継続して来た背景を感じる。

②歴史相似象
たたら製鉄のあった雲南市吉田地区は、木炭を使った鉄づくりが盛んだった地域。
この地域を治めた民間人の田部(たなべ)家と役割分担が明確なたたらの仕事と一体となった生活がそこにはある。

1次産品である鉄は船で大阪・堺に運ばれて、そこで加工されて2次産品の刀等になった。
地元の1次産品をコンテンツ含めた2次産品にする取組を訪れた人(3次化)と協働でつくる流れで回している。

今も昔も、そう大きく変わっていないのだ。


③自給自足
日常では大手(中央)に稼ぎを持って行かれないため、

また、非日常では流通が止まっても生活を維持するためだ。

小遣い稼ぎを少しでも増やし、生活の基盤を取り戻す(=自給自足する)ことで、現代の歪んだ構造に一石を投じている。
震災や戦争時は、炭の蓄電器は運ぶことができるし、竹に詰めたお米を木を燃やして炊くことができるなど、里山は非日常に強い。日常の経済を確保できれば、決して炭にくい、でなく、住みにくい訳ではない。


④地域性

夏は暑いが冬は雪が1メートル20くらい積もる雲南市(吉田地区)は山あいの集落だ。
それまでいた高知県室戸市は、海と山も近いが雪は滅多に降らない。

この驚くほどのコントラストは、人間性・組織・文化の違いにも色濃く反映される。

神楽(かぐら)の霊がわかりやすかった。ゆったりと踊る奥出雲神楽に対して、その隣の海に面する石見(いわみ)神楽は人に魅せるショーのようだという。どちらも、ヤマタノオロチを題材にした神話がもとになっている。踊り方が対照的なのは、地域で生きるための素養も神楽等の伝統芸能で育まれるのかもしれない。働き方だけでなく、コミュニティも教育も現代という刹那はそれまでの歴史と大きく異なることも示唆する。

 

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山林

山林という詩がある。(末尾に掲載)

驚いた!

 決して他の国でない日本の骨格が
 山林には厳として在る。
 世界に於けるわれらの国の存在理由も
 この骨格に基くだらう。

敗戦後、「千の非難」を受けて、花巻へ移り住む。
戦意高揚の詩をつづった戦時中があったからだ。
そして
山林での心平らかな日々。
そこに、日本の骨格を、国の存在理由まで見出す。

その高村の心情に思いをはせるとともに
それだけの力があるのかもしれないとまたうなづく。


 

 



山林       高村光太郎

私はいま山林にいる。
生来の離群性はなほりさうもないが。
生活は却って解放された。...
村落社会に根をおろして
世界と村落とをやがて結びつける気だ。
強烈な土の魅力は私を捉へ、
撃攘の民のこころを今は知つた。
美は天然にみちみちて
人を養ひ人をすくふ。
こんなに心平かな日のあることを
私はかつて思はなかった。
おのれの暗愚をいやほど見たので、
自分の業績のどんな評価をも快く容れ、
自分に鞭する千の非難も素直にきく。 
それが社会の約束ならば
よし極刑とても甘受しよう。
詩は自然に生れるし、
彫刻意慾はいよいよ燃えて
古来の大家と日毎に交はる。
無理なあがきは為ようともせず、
しかし休まずじりじり進んで
歩み尽きたらその日が終りだ。
決して他の国でない日本の骨格が
山林には厳として在る。
世界に於けるわれらの国の存在理由も
この骨格に基くだらう。
囲炉裏にはイタヤの枝が燃えている。
炭焼く人と酪農について今日も語つた。
五月雨は降りしきり、
田植えのすんだ静かな部落に
カツコウが和音の点々をやつている。
過去も遠く未来も遠い。

(「典型」より)
宮沢清六(賢治の弟)の住む花巻は大田村山口の山小屋に、終戦の翌々月から生活をはじめた以後の作。

※極力、原文のまま引用したが
 るに似た「い」(旧字)、また旧字体漢字は出し方が分からず現代表記した。

文学と次世代と

茂さんの話は感激しました!

 

震災後、一人で川内村で過ごした時を支えたものについて、

質問され語られていました。

 

一つは、文学の力。

和合亮一さんや宮澤賢治の詩を読み続けたといいます。

また、もう一つ。

次世代のためなら何でもやりたいとの思い。

 

どちらも今後に生きる話でした。

航海をすることが必要なのだ。生きることは必要ではない。    Navigare necesse est ,vivere non est necesse.

 ちょっとびっくりされたかもしれない。

 

一昨日は
池間哲郎一日一言

http://www.realinsight.co.jp/ikema/aphorism/ikema.real.html


のなかで、
動物園政策について話題になった。


参考までに

1年ほど前に書いた引っ越し前のブログ。

ameblo.jp


改めて調べてみると、この話が分かりやすい。

以下引用。

抗議の声が
「檻から出せ」
ではなく
「飼育係、いい餌よこせ!」
になってきたらいい感じ。

引用終わり。

言い方は違えど、「いい餌よこせ」と言ってる人は随分いる。
この地域だけではない。
もうそういう空気が常態化してしまった。

現代は最も進んだ時代というは、思い込みだったことにも気づかされる。

「野生」という表現がある。人間も野生を持っていたはずだが、ないことが現代人かのように思ってきたけど、そうではないかも知れない。

歴史上、野生を貶めた時代はここは100年くらいかも知れない。



表題の言葉は、大航海時代を拓いたエンリケ航海王子の言葉。
この野生をもった 魂を持った 人間がいたから 一つ事を成した。

高貴は、野生と道徳を兼ね備えているとも言い、
魂なき生き方は、人間でなく動物の生き方だともいう。

デルフォイの神託には、
「保証その隣に災いあり」ともあるという。  「根源へ」執行草舟・著(講談社)より

ウィキペディアでは、違う表現になっている)
参考   デルポイ - Wikipedia

 

安全な生き方は楽かもしれないが、本当にそれでいいのか?問いかける必要がある。

 

 

この気概で今日も進もう。




待つ

gardenjournalism.com

フロンティアは 私が考えていたものとほぼ同じだ。
当然私より先に着想した方がいてもおかしくない。


私も今年2017年は

転換点だと思ってきた。

川内村に関しては、あらゆる賠償が一区切りになる年。

今までのやり取りとそれにまつわる断末魔の叫びもあるだろうが、
次世代への議論に収斂されると信じている。

 

内と外という課題。
その奥にある分断も視野に入れれば、ここから一つモデルの構築ができるし、専門化された知の分断の統合が、実践の中で知行合一されるとも信じる。

 

浜魂(ハマコン)には私も参加した。
ご一緒したお三方は着実に行動を積み重ねている。

周回遅れの気分もあるが、
一歩一歩あわてずに進む。

 

その時を待つのもまた仕事のうちだ。


迷いも不安もすべて受け入れて、
自らの目指すゴールだけは常にイメージしている。