japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村で移住6年。いわなの郷で働きつつ、日本一だった炭焼き復活を期す川内村炭焼きプロジェクト、移住者だけでなく新たな場作りを考えるCafe學校を主宰。本ブログでは、成長の観点で思いのままに書いています。

知覧 2015

知覧に行った時に

未来の自分宛の手紙を書いた。


今このタイミングで読み返した。

 

その時
一緒に行ったグループに送ったメールをここで記す。

わたしはその前年たくちゃん(野澤卓央さん)のコツ塾に参加。

chiisanakotsu.com



その流れで全国のコツ塾仲間で
知覧に行った。

 

 

 

知覧でお世話になったみなさんへ
 
 
東京3期
たかちゃん(私のこと)です
 

送信しようと思って

できなかったメールですが
以前のものに
今日手直しして送ります
 
 
 
 
Kさんが以前書いてくれた
白駒妃登美氏の文章の中の映画
 
 
先々週
映画観てきました
 
 
素晴らしかったの一言
 
台湾の方が作って
しかも
日本の素晴らしさが散りばめられていた
 
甲子園球場が光り輝いていたのは
日本への敬意の証
台湾では
日本精神リップンツェンシン
は人を褒める時に使われると言う
誇りを持って働いている
待ち合わせの時間を守る等々
 
 
大連や京城(今のソウル)の地名が入った学校名も見える
日本人にとっては当たり前の感覚だが
統治国に教育した国はなかったと聞く
例えば
フランスは植民地統治した国で最初にしたことは監獄を作った
とか
 
日本は帝国大学をソウル京城に作った
名古屋よりも早く
 
 
まして
甲子園で 台湾代表 嘉義農林学校は勝ち進む
 
これを
日本人に勝つなんて許せないと 屈辱と捉えず(中にはいたかもしれませんが)
日本内地でない国がここまで強くなった と見る風土は
誇って良いのではないか と思います
 
 
 
 
そして何より
近藤兵太郎
嘉義農林学校で野球部を指導した主人公の姿に
ひどく共感しました
 
それは
日本での監督時代に失敗していたから
 
子どものやる気を引き出せず
いら立って子どもを罵倒したりした場面が出てくる
それで台湾も南の方まで来た
そんな思いを持って 野球を始める
 
これって 自分の姿と重なるから
 
教員をしていた私は
恐怖で支配するやり方を続けてきた
その結果
学級崩壊を起こし
結果どうにもならなくなって
孤立無援となり 仕事を辞めた
 
 
人を愛する力がない自分を責めた
もう自暴自棄にもなった
これ以上人目につくことは怖かった
 
 
今思えば
母からされたことを ただただやり続けた
自分がされて嫌だったことを し続けたんだ
言葉と行動が一致しないことを
気づきながらも 自己嫌悪を感じながらも その術がわからなかった
ただ
気合いと根性で
がんばることしかできなかった
子どものことなど一切考えずに
 
 
ひるがえって
母も きっと自分がされたことを し続けたんだろう
違和感を持ちながら 自己嫌悪しながら 
と今は 少しだけ かんがえられる
 
 
もうすぐ
私も40だ
やり直すには遅すぎると思ったこともあったけど
まだ死ぬまで生きる時間を考えれば
今できることをしよう と思う
 
 
先日
知覧で書いた手紙が
自分の元に届いた
 
まだ短い時間しかたってなかったので
書いたことも覚えていたけど
それでも
違った印象で受け取ることができた
 
 
こんなことを書いていた
 
 あなたの生き様に
 私が最も勇気づけられています
 私が最も感動しています
 私が最も喜んでいます
 これからも 私はあなたが大好きです 
 ただ立ち上がるあなたが大好きです
 あなたは 私の希望です
 
 
書いた時はバカだな なんて思ったけど
今は
それでもいいかな と思う
そして
もし笑われても
それで一人でも 灯をともせたらいいって
 
 
近藤兵太郎のように
成功するしないは別にして
生きる希望を失った人に
希望の灯がともせたら
それで十分ではないか と
 
 
 
読んでくれてありがとう