japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村で移住4年半。いわなの郷で働きつつ、日本一だった炭焼き復活を期す川内村炭焼きプロジェクト、移住者だけでなく新たな場作りを考えるCafe學校〜サロンde川内〜を主宰。本ブログでは、炭焼きPJを中心に成長の観点で好き勝手に書いています。

Cafe學校 〜サロンde川内〜 第19回 告知

こちらをご覧ください。

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「他人事から自分事へ」

 

 

アメフトの話がニュースになり、ずいぶん報道を見た。

 

 

家に帰って、こちらを開く。

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またと思われるかもしれないが老子

 

一脈通じると思った。

 

 

三寶第六十七には、

この世には三つの宝があるという。

慈愛・倹約・天下の先にならないの3つ。

 

 

敢(あえ)て天下の先と爲らず、故に能く器長(きちょう)を成す。

 

この文の解説には
 ・・・
 最新のリーダーシップは、先頭に立って”俺に付いて来い”式ではない。

 最後尾にいて”羊を追う”式になっている。全体がよく見えるからだ。

 一人一人のメンバーのコンディションが良く見えなければ、絶妙なマネジメントはできない。

 

とある。

 

さらに、この三宝なしにリーダーシップを行なったら…という話が出てくる。

 

今慈を捨てて且(まさ)に勇ならんとし、儉(けん)をすてて廣(ひろ)くあらんとし、後(おく)るるをすてて且に先んぜんとすれば、死せん。

 

解説にはこうある。

 

慈愛がなくて勇気のみで行動し、倹約がなくて広く施し、先頭に立つことだけを行なっていれば、死の危険に至ってしまう。

 

 

死という言葉を使った最大限の警告だと捉える。

 

リーダーシップは小手先ではできないことを知る。

 

こちらは敢えて、

この「死の危険」を察知する大切さを強調し、
「見るまえにとべ」の詩をリンクとして貼る。

 

ameblo.jp

 

 

アメフトの話に戻る。


日大フェニックスの故・篠竹前監督は、

学生と寝食を共にして指導していたと聞く。

どう考えても内田現監督は学内でも地位が高いことを聞くと、

そういうタイプではなさそうだ。

(事実関係を確認していないことを付記する。)

 

つまり、篠竹さんは”俺に付いて来い”式であっただけでなく、
最後尾にいて”羊を追う”式だったろうことを想像する。
学生のことを熟知していただろうし、人間的なやりとりも一つ屋根の下であっただろう。

であればこそできた絶妙のマネジメントがあったに違いない。

 

それと同じことを内田氏はできるはずがない。

フィールド場の振る舞いだけ篠竹氏の真似をしても、

それ以上に長い時間をすごす宿舎でのことは真似できなかったからだ。

 

そもそも、篠竹氏のような指導は現代ではできないのだ。

それは家族のような関係性、言い換えれば一緒に過ごす時間を持って成り立つことだから。

 

その中で倹約。

自分は食べずとも、多く食べさせるとか。

自分のものを施すとか。

それはあっただろう。

 

昔のやり方が今は通用しない

と言われるが、上の意味で解釈する。

 

篠竹氏が生きていれば、きっと現代でも成り立つと思う。

 

よく言われることだが、

Doing(やり方)でなく、Being(在り方)から真似る必要がある。

 

それはきっと古今東西関係ない。

 

 

 

話を他人事から自分事に移す。

 

 


翻って私は、

内田氏のことを偉そうに言える分際ではない。

子供に対してひどいことをしてきた。

 

敢えて言えば、今回のことは他山の石だ。

 

老子三宝に挙げられる

慈愛・倹約・天下の先にならない

のどれ一つたりともできていなかった。

 

慈愛も自分を守るためだけに使ったし、

倹約の発想もなかったので広く施すことも真似事だけ、

最後尾から一人一人を見ることもなく、ただ自分の主張ばかりを伝えてきた。

 

自分の主張だけでは、相手を裁いて終わってしまう。

これが正しい、これは正しくないの二元論だけで人が育つわけがなかった。

 

そうだ。

自分の説ばかりを説く

ならず者だった。

 

本当は、私が子供の頃ただただ押し付けられたことを経験してきたが、

いざ自分の段になって何一つ生かせなかった。

人は自分がされたことをするとはよく言ったものだ。

情けない。

 

別の視点で言えば、

信頼関係の大切さはその当時よく聞いた。

しかし、私には信頼関係というものが言葉でしか理解できなかった。

実際に経験しなかったからだ。

 

かと言って、それを言い訳にできない。

それは、上の詩にあるように、

見るまえにとべと言っても危険を察知することは必要だったから、

未熟としか言いようがない。

 

思い起こせば、

昨日はあの若者の記者会見に心を揺さぶられた。

 

だから余計に、

自らの愚かさもまた恥じ入る。

 

 

昨日のCafe學校でも

「他人事から自分事へ」という話題が出た。

 

他人事だから客観視することもできるが、

自分事に落とさなければ真の学びにはならない。

 

 



その点でまだまだ自己認識が不十分だと反省する。

一方で、

やっと
過去を振り返る「その時」を迎えられたとも自負する。

 

そんな情けない自分も受け入れつつ、今日もまた歩みを進める。

自分を責めることは、反省ではない。

 

それこそが

運命を愛すること

後陣に示す生きる姿勢

自らが生きる意味だ

 

生き恥を晒してでも。

「思い込みを外す」

 

 

ここ数ヶ月くらい
モヤモヤした状態が続いた。

 

行きていく上で自分が生きやすくするための枠を作るものが信念。

思い込みとも言える。

この枠を持つことで、家庭の中で弱い存在の子供の生きる知恵で、

大げさかもしれないが、生き抜くための知恵でもある。

 

例えば私の場合は、

「感情を出してはいけない」

「ありのままに生きてはいけない」

「誰も聞いてくれない」  等々

あまりにも多くの枠を作って生きて来た。

その背景に責任を押し付けようともして来たのだ。

 

その一つにやっと気づく。

 

「相手は私の邪魔をする」

 

仕事でもなんでも、私が考えることを否定する人たちに会うと、

 

「相手は私の邪魔をする」と考えて来た。

 

でも、そうではない。

厳密に言えば、実際に私の邪魔をしたい人もいたかもしれないが、

私が思い込むことでその現実が成り立っていた。


こう思うことで、敵味方に分けて自分の身を守って来たとも言える。

 

また一つ思い込みを外すことができた。

 

このことで、

二元論からも解放されることで、

新たな視座にも立てる。

 

こうして一つ一つ成長することで、

これからの炭焼きプロジェクトを実現できるための自分が作られていくものと確信する。

 

その過程では自分の負の感情も受け入れていかないといけない。

 

過去の感情を解放する(一度出すこと)で

その当時に求めていたこと(ニーズ)を知ることができて

その当時の自分を癒した先にある。

 

生きる上で、思い込みはある意味で不可欠で、

それがなければ生き残れなかったかもしれない種類のものだから。

 

ただ、その当時必要でも今は必要ないものもたくさんある。

むしろ、これからの妨げになるものならない方がいい。

 

一歩一歩進んでいこう。

 

「ありかた  (TO BE) ~田村市常葉 ときめき山学校 にて ⑵ ~」

 

 


前回の続き

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

 

 

ときめき山学校の奥山さん。

素敵な方だった。

 

ときめき山学校の校長先生と紹介を受けて至極納得。

 

 

その夜読んだこちらの本。

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何度も引用している老子

 

後己第六十六には、冒頭こうある。

江海(こうかい)の能(よ)く百谷(ひゃくこく)の王たる所以の物は、其の善く之に下るを以てなり。

 

故に能く百谷の王と爲(な)る。

 

 

 

以下解説を引用する。

 

 

大河と大海が多くの谷の王となっている理由は、流れの下流にいて全てにへりくだっている事にある。

「情報は下流に集まる」といわれている。したがって情報を集めようと思ったら、足を棒にして低地(現場)や人込みを歩きまわる事だ。

 

 よくへりくだっているからこそ、多くの谷の王になっているのだ。

 とっておきの情報を聴きこんで来る名記者は、上から目線は一切ない。驚くほど謙虚でへりくだっている。

 更に全身が耳と目といった状態で、何事もひたすら感心して聞く。だから相手もだんだん乗せられて何でも話す事になる。

 一言で言えば”破格の好奇心”の持主ばかりだ。

 

 

このように書かれている通りの人物だった。

 

無論、「無為」であることは言うまでもない。

 

無為について参照。

 

 

 

つまり、手出し口出しも全くない。

 

休憩時の飲み物や食べ物の用意から、

ポイントとなる竹の準備や稲の運搬、稲植え。

縁の下の力持ちとしての動きに徹していた。

 

実際的な作業は全て来た人が行うようにする。

其のことで、来た人はやりがいを持つことができて、愛着も持てる。

 

何より話は短い!

そして話を聴く。

私の方がついつい話し過ぎてしまう。

上の解説の通りだ。

 

 

また、最後にはこうある。

 

ここを以って天下樂しみ推して厭(いと)はず。

其の争はざるを以ての故に天下能く之と争ふ莫し。

 

 

解説

 

 だからこういう人の治める天下は実に愉快だから、それをもっと推し進めようとしても民は嫌がらない。

 上と下の間が争わないから、民の間も争うことがなくなる。だから天下に争いごとがなくなる。

 

ときめき山学校に参加して、やっぱり楽しかった!

またやりたいって思う。

こうして争うことがなく楽しんで行えたのは、組織の上下での争いがないからだ。

これも老子の言う通りになっている。

 

 

もう一つ引用したい。

 

淳風第十七


太上(たいじょう)は下(しも)之有るを知るのみ。

其の次はこれに親しみ之を誉む。
其の次は之を畏れ、其の次は之を侮る。
信(まこと)足らざれ場なり。

・・・

 

解説にはこうある。

 

 最も優れたリーダーは下に居る人々はただ其の存在を知っているだけ。その人の行動や働きなど何一つ知らない。それこそが名リーダーのあり方だ。・・・

 それに及ばないリーダは、部下たちの親しみや賞賛を集めているタイプ。其の下は、部下が畏れこわがっているタイプ。最低なリーダーは、部下がバカにし軽視している人。それはその人に、部下がどうしても信頼できないところがあるからだ。

 

いわゆる私は「最低なリーダー」をしてきただけによくわかる。

ときめき山学校の校長先生は、

太上(たいじょう)は下(しも)之有るを知るのみ。

を文字通り実践されているように見受けられた。

 

 

さらに

最後にこうある。

 

功成り事遂げて、百姓皆我自(みずか)ら然りと謂(おも)ヘリ。

 

解説では

 

 リーダーが自分の経営や政治がうまく行っているかを計る要点。事が旨く行き成功した時、蔭で懸命に支援した自分のことなど一切忘れて、部下や国民が自分の働きの結果だと思っている事にある。何故なら、リーダーの仕事は部下や国民に点を取らせる事にあるからだ。

 

 

言葉を足すことはない。

 

 

身近にこのような方と出会えた事に感謝する。

それはオセロで言えば、私の過去の黒が白に変わる可能性を持った出会いでもあったから。

 

ありかた
英語で言えば
To be または  Being

 

これって言葉ではわかった気になれるけど、本当のところはわからない。

人の姿を通してしか、本当にはわからないのだから。

 

 

 あそべ! ~田村市常葉 ときめき山学校 にて ⑴ ~

 

 


田んぼアート準備(田植え前の図案作り)のため、

5月18日(金)に参加。

翌日からの本番に向けた準備のため。

 

ちなみに
ときめき山学校についてはこちら

http://tokimeki.chu.jp

 

 

 

 


残念ながらカメラを忘れて一切写真はない。

今は測量しながら、図柄を作ることが多いらしいが、

手作業での図柄作りにまずもって驚く。

 

この図柄作りが大変だ。

 

できた図柄は配られているものの、場所を正確には記録されていない。

上から指示を出す。

指示の出し方によっては全体のバランスが崩れてしまう。

 

それでもこのやり方は面白い。

 

上から指示を出しても現場では伝わらないことばかり。

それでも上からの指示を信じてひたすらそのように動く。

 

一方で、上からはロープの張り具合がよく見えない。

判断に迷う時は多々あったろう。

また、よくわからない時はあえて稲を植えて、感じを見てみたりする。

 

そして、指示を出しにくい時は下に丸投げする。

それから判断。

 

そして休憩時に確認・修正が行われる。

 

もう4年目になるという

田村市常葉でのときめき山学校での田んぼアート

 

年々上達しているという。

逆に言えば、最初は失敗も多かったという。

 

田んぼアートの世界を知らずに
不遜にも言えば、

 

これって素晴らしい!

 

失敗できるって素晴らしいことだ!!!

 

 

 

なかなか失敗ってできないし、失敗したら批判されるって思ってしまいがち。

 

うまくやりとりができず、イラつくことも多かった。

だからこそ、面白い。

 

思った通りの形にならない。

だからこそ、面白い。

 

うまくいかない!
だからこそ、面白い!

 

そして

失敗してこそ成長できる!

 

 

車で言えば、アクセルを踏み込んで効くまでの「あそび」の部分のようなもの。

 

あ!そうだ!!

あそび

遊び

 

だ!


遊びが必要だったんだ。

 

うまくできることや

効率を重視してしまうし、

それに越したことはない

と思っていた。

 

 

でも、面白くすることだったり、豊かになることだったりは、

この「遊び」が決めることかもしれない。

 

いかに失敗せず、能率的にやることばかりを追い求めてきた。

それだけでは味もそっけもない。

 

それらもだいぶ捨ててきたけど、

まだまだ


遊び

が足りなかったことに気づく。

 

遊びを増やそう!

仕事も遊びのようにできるようになってきた。

 

さらに
もっと

遊びを増やそう!

 

今まで自分なりに作ってきた枠組みをもう一つ再構築する時だ!

 

「白河という土地」

 

 

白河の話。こちらの続き。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

 

その続きとして、白河の歴史に思いをいたす。

 

 

戊辰戦争明治維新)150年の節目の今年は、やはり先の戦争のことを考える機会にもなる。

「戦後」といったら、会津では戊辰戦争後のことだ!なんて言われたりするわけだから、

戊辰の戦いの土地である白河ではまた石碑や史跡が当時を思い起こさせる。

 

 

歴史を調べて驚いたのは江戸時代になって白河藩を治めたのは、いろいろな人が入れ替わり立ち替わりしていること。

阿部氏の後、空位になっていたことも驚く。

また、越後高田だったか、新潟の人がずいぶん入っていたことも、

新政府軍(西軍)に対して、奥羽越列藩同盟(東軍)ができたことも理解しやすい。

 

一方で、白河がすんなり入れたことは、もう準備されていたようにも感じる。

 

戦争は八百長で負けた方がシナリオを書くという説もある。

徳川(一橋)慶喜を腰抜けのようにいういわゆる司馬史観とは全く異なる考え方だ。

 

この戦はどう考えても西軍が勝たなければならなかった。

理由は簡単で、もし西軍が負けて東軍が勝っていたら今の日本はなかったことになる。

 

当時のプロイセン(ドイツ)に、戦争資金と引き換えに蝦夷(北海道)を99年にわたって貸与する話が最近新聞報道でわかった。



参考にこちら
 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 


つまり、日本列島の一部である北海道が、1968年くらいまでドイツ領だったかもしれない。

だとしたら、どうなっていたか?

 

例えば、

日清日露戦争は北海道がなくて、勝てただろうか?
第1次世界大戦でドイツは植民地をだいぶ無くしたが、果たしてそのタイミングで日本のものになっていたか?もしかするとロシア領やアメリカ領になっていたらどうなっていたか?
第2次世界大戦でシベリア抑留でなく、北海道抑留なんて事態もあったし、その流れとして朝鮮半島のように米ソが分断していたとしたら今の日本の発展はあっただろうか?


また、北海道という土地がなければ、行えなかったであろうこと。

例えば、当時の北海道大学で学んだ新渡戸稲造も生まれなかった可能性もあるし、

驚く話をすれば、黄金や罌粟(ケシ)といったものをどう管理し得たか?

(維新後に起きた箱館戦争は黄金の移動の目的だったと落合莞爾氏は発表している)

そう考えると戊辰戦争で東軍は何が何でも負けなくてはならなかった。

会津藩主で京都守護職松平容保はどんな思いで受け入れたのだろうか。

会津だけでなく奥羽越の諸藩主もどこまで知っていたかもあるが、大変複雑だ。

 

 

石碑の一つ
遊女志げ女の碑
に足を運ぶ。

 

以下はネット上の説明を引用する。

越後生まれの志げは、幼くして白 河の妓楼坂田屋に身を売られまし た。西軍下参謀世良修蔵と情を結んだため、戦後会津藩士がしげを 憎んで殺害したと伝えられていま す。世良は仙台藩米沢藩会津 救済嘆願を退け、「奥羽を皆敵と見 て武力をもって一挙に討伐する」と 書いた密書が露見したため、閏 4 月20日未明福島城下にて捕縛され、 阿武隈川河原で仙台藩士らによっ て斬首されました。これが戊辰東 北戦争の始まる一つのきっかけと なりました。 

 

 

この世良修蔵という人物も不可解。

ちなみに世良についてはここでも書いた。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

世良があんな態度をとったら、殺されることはわかるし、
密書をわざわざ手元に持っているなんて普通はあり得ない話。

 

世良が討たれたら、それを口実に戦をすることが仕組まれていたかのようだ。


維新後の朝鮮に対して西郷どんが、自分が殺されたらそれを口実に戦をすると語っていたかのようだ。

 

しげという遊女は世良と関わってなければ死ぬことはなかった。

また、しげを殺したものもその後仇討ちされている。

 

運命の悲しみをまた実感する。

 

白河は東北の中でも早くから中央と関わりを持っていた。

地政学上の要所でもある。

それゆえの戊辰戦争のような悲しみもあったが、それはまた時代を動かした地でもある。

 

白河の関があるが、

関とは?

 

私の姓でもある「関」とは門構えにかんぬきが刺されているが、結界を開け閉めする役割がある。水だったら堰を置いてその流れを管理したように、人と人との関係を作り出す役割ができたら、それは本望でもあるし、氏(うじ)を生きることにもつながる。

 

 

 

その関とも言える地、白河にCafeEMANONがあるのも感慨深い。

 

 

「運命を愛する~楢葉にて⑵~」

 

 

 

前回の続き

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 




思えば田んぼアート

何の保証もない。

 

結のはじまりだって

AFWだって

木戸の公民家だって

そうだ。

 

一方で、デルフォイの神託にある言葉を思い出す。


 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

保証その隣に災いあり。

 

保証を求める生き方その隣には災いが寄り添っていると。

 

現代ほど不安や恐怖に煽られた時代はない。

それらは消費社会と密接に結びつき、人の消費行動を陰でコントロールしている。

 

不安や恐怖を与えることで売らんかなの商品の何と多いことか!

 

その不安や恐怖は常にそれらを引き寄せることとも結びつく。

引き寄せの法則とも言える。

 

本来ヘッジ(望まない未来へのリスク分散)としての役割の保険も一方で

それを望む心象を生み出す。

 

 

田んぼアート

それでもやると市川さんが言ってはじめた。

 

でもその話は確実に去年のそれを上回っている。

 

着実に階段を上っていることも実感する。

 

 

斎藤一人さんの話を思い出す。

松は曲がっていて、杉はまっすぐだ。

杉の中に松が混じっても、

松は必ず曲がる。

まっすぐになろうなんてしない。

 

ダリアはダリアとして咲く。決して百合になりたいなんて思わない。

 

その性質を存分に活かして生きているのが自然だ。

 

人間だけが、ダリアなのに百合に憧れたり、松なのに杉のようにまっすぐになろうとする。

 

松は松らしく生きようとしている市川さんの姿がそこに重なる。

 

結のはじまりの女将の古谷さんもそうだ。

 

杉のように生きることもできたけど、松として生きることを決めた。

 

それでいいのだ。

 

自分の特質を知り、その特質を生かす生き方をする。

言い換えれば、自分の運命を愛することと言っても過言ではない。

 

 

 

最後に

翻って私・関孝男の話。

 

炭焼きをやると言って時間が経つ。

有難いことに、「いつやるんだ」「口ばっかりだ」と批判を頂くようにまでなった。

 

尊敬する土佐備長炭・炭玄の黒岩辰徳さんも

「炭焼きで飯が食えるの?と心配をたくさんもらった」と振り返る。

 

私は今は焦っていない。

見通しがあるかといえば、あるといえばないし、ないといえばある。

禅問答のようだが、「空(くう)」の状態だ

 

でも必ず日本一復活を実現する。

そのための準備期間だと捉えて、今はただただ学ぶ時期。

 

実は多くの手本、教師がそこに入る。

我以外皆師也

青森の高森優さんがだんだん批判が楽しくなってきたとさえ述べられている。

taberutimes.com

 

(高森さんのところにはいずれ行く)

 

 

 

炭焼きはまだ「その時」ではない。

でも、「その時」は必ず来るので、その準備を着実にしていこう。

 

私は私で、他人にはできない役割がある。

その役割を全うする「その時」を、準備しながら待つ。

 

それは、私自身の運命を愛することにもつながる。