japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村で移住4年半。いわなの郷で働きつつ、日本一だった炭焼き復活を期す川内村炭焼きプロジェクト、移住者だけでなく新たな場作りを考えるCafe學校〜サロンde川内〜を主宰。本ブログでは、炭焼きPJを中心に成長の観点で好き勝手に書いています。

「システムの中で生きる」

帰省した時の話。

他にも

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

などを書いた。

 

 

今回は母の通院で東京の有名な病院へ。

 

脳の病で、放射線治療もひと段落して、MRI検査を行う。

 

今は分業化が進み、主治医の先生と会うことはない

予定だった。

 

しかし、検査前に必ず主治医の説明を受けたという署名が必要で、

署名だけでも構わなかったが、主治医が来て忙しそうに説明とサインをした。

 

主治医の先生に会えるので今後のことも聞いておきたいと言われ、

話すタイミングを見ていたが、言い出すことはできなかった。

 

もう疲労困憊で、話をするのも気の毒になってしまった。

おそらく聞いても、カルテを見ないと分からなかっただろう。

 

考えさせられた。

 

現代は医療ミスが多発している背景もあって

ミスを防ぐためのシステムが高度に進んでいることはよくよく伝わって来る。

 

もともと医師は24時間勤務だったり、36時間勤務だったりの激務なのは聞いていた。

 

しかし、決められたシステムと効率化の名の下、

働く人の負担は過度に増している。

かわいそうになってしまった。

 

一生懸命に勉強して医師になり、

仕事でもギリギリの状況まで働く。

 

医師だけではない。

 

多くの人がそんな社会で生きることが仕方ないこととさえ思って来た。

 

しかし、時代は変化する。

 

AI人工知能は、金融分野を皮切りに事務的な仕事を網羅できるようになる。

さらには、医師や弁護士といったアルゴリズム化できる分野に進展することが予測されている。

 

もし、AIで代替できる仕事をAIに任せることができるならば・・・

疲弊するあの主治医先生のようにならないだろう。

 

医療の分野人の生死の倫理的な面もあるから、議論が必要な部分もあろうが、

変わる時は一気に変わる。

 

AIと人間と対立的に未来予測する説もあるが、私は AIはそんなにバカではないと考える。

 

むしろ、AIが人間に道徳を教える時代が来ることの方を恐れる。

曰く、

「そんなに働いてどうするんだい?」
「生きるのにもっと大切にすべきことがあるじゃない?」

「家族を大事にしないで、死ぬ時後悔しないの?」

あるいは
「人間はなんで戦争なんかしてるの?」

「喜ばれない仕事をしてて、それでいいの?」

 

人間が当たり前に受け入れて来たことも少し疑ってみると面白い。

 

病院のシステム改善にはヒューマンエラーが起きないような配慮がなされ敬服するものの、

人間らしさが欠けている。

 

 

これは企業で言ったら、いかに仕入れを安くするかにこだわって弱い立場の人をいじめるようにして、安く仕入れて、自分のところだけ売上をあげて喜ぶ大企業の浅ましさも感じる。

 

これはさらに、タックスヘブン(租税回避地)に本社を置き、納税を免れながら利益を得たり、マネーロンダリングで裏のお金をじゃぶじゃぶ洗濯する国・企業の金の猛者ぶりも同じ構図にさえ感じる。

 

 

どれも仁、思いやりの心が欠けている。

自分だけがよくなろうという利己の心では幸せになれないことは多くの人が訴えている。

 

 

ではこれから未来はどうなるだろうか?

実はバラ色の未来になると信じている。

 

次回から実際に未来予測を試みてみる。

「できないことで悩まない!」

 

 

とある私の友人と帰省した際、久しぶりにお会いした。

会った場所はこちら。

f:id:japan-energy-lab:20180624164439j:plain



福島に来る前は
ずいぶんお世話になった場所。
懐かしかった。5年ぶりにこちらのお店へ。



友人は

セーラー服屋さん。

というとややこしいかもしれないが
制服屋さん。

 

その方は今まで様々な工夫と情熱で
改革をし続けて来た。

 

昔書いたブログも参考まで

ameblo.jp

 

 

そのトーンが変わっていたのに驚いた。

 

まずあれだけ吸っていたタバコをやめた。

サッカーや水泳、ゴルフをしているという。

酒も飲まないのだという。

 

 

曰く、

 

 今まで頑張って来たけど、これだけ少子化でどうにもならない。

 

 どんどん子供の数が減り、さらにお下がりで制服を買わない家庭も半数いる。

 

 将来、制服も無くなるかもしれない。・・・

 

 

 

 

もはやイメージが大きく変わってしまった。

 

ただ、聴けば聞くほどその通り。

現状にしがみついては生き残れないという強い想いの表れだった。

 

かと言って従業員の雇用は全く違う形で守ることを考えている。

 

今までの数々の改革のノウハウを生かしたコンサルタント業務。

 

これは面白いかもしれないなあって思った。

 

 

 

 

努力すれば報われる!

 

なんて思い込んで、必死に努力して来た。

それで出た結果もあるけど、向き不向きや時代の趨勢がある。

 

例えば、

今の時代に黒電話を売ろうなんて人はいない。

もしそれをやるなら付加価値をつけなくてはいけない。

一時はすごい勢いで伸びた産業もいつかは必ず衰退する。

 

 

今の産業も
今は稼げるかもしれないけど、

これから稼げるかは

ニュートラルに見ないといけない。

 

 

平成になった頃だったか

かの国では自国よりいい車を輸出し始めた日本車をどんどんぶっ壊していた。

 

恥のない人々のように

情けないことをしても仕方ない。

 

今後のAIやVR時代に備えた取組は必要だ。

そんなことを痛切に感じた夜だった。

 

時代の変化は変えられない。でも、自分を変えることはできる。

できることをやり続けることしかできないんだよなあ。

 

 

 

最後にちょっと別視点から。

 

氏から出た言葉には
「足るを知る」があった。

 

奥さんのすごさを伝えてくれた。

 

たまたま自分が感じていた言葉が出て来た。

 

老子にも

「足るを知る者は富む」とあり、豊かさの根源はつまるところそれなのかもしれない。

 

 

ちなみにこの方の会社についてはこちら

 

kowairyo.co.jp

 

ご注目ください!

 

「ただただ運命を生きる」

 

 

実家帰省した際、父の墓参後、約10年住んだ当時の貸家に行ってみた。

あれから約6年。

もう別の人が生活をしている跡があった。

 

当時の苦しみがよみがえり、ただ涙を流す。

 

家庭環境云々と親のせいにしてきた時代だ。

 

確かに一つの基準に達することのできなかった自分を自分で責め続け、

人も信じられなかった。

恐怖や欠乏から生まれた希望は、結局恐怖や欠乏に帰着することもまた学んだ。

 

思えば、何もかも無くした(ように感じた)あの時に戻っただけだった。

 

一方で、必死の努力で続けた日々は平坦ではなかったが、

私が身につけたものもたくさんあった。

 

博之さんに言われたことを思い出す。

前回の後半書いたこと。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

 

もし、ここに来るための訓練をしていたとしたら。

見方は全く変わる。

 

誰もが離れていく土地(だとしてね)で

それでも生きるだけのタフさを身につけられたと逆のものさしで考えたとしたら。

 

これでいいのかなあと思う時もある。

 

けど、人間にできることはただただ運命を愛することだけだし、

運命を生きる以上のことはできない。

 

無い物ねだりをしても始まらない。

 

吾唯足るを知る

 

そこからしか何も生まれない。

 

物質的な豊かさばかり追い求めてきたのは自分だった。

精神の豊かさを得たのだ。

 

そうだ。ずっと今のままではいけないって思ってきた。
それも今この瞬間で

サヨナラだ。

今自分に与えられた運命をただただ生きよう。
他の道はあるようでない。

 

また、私は諦めが悪い。

失恋してもすぐ切り替えられるタイプでない。

まして嫉妬深い。

 

諦めの悪さで、

世の中にはストーカーになる人もいるが、

私は炭焼きを続けることに情熱を傾ける。

 

この諦めの悪さも

向ける方向性さえ変えれば、エネルギーを生かすことはできるんだ。

 

思えば、様々な条件が整っている。

 

私がこれから炭焼きをなすための条件が。

あとは「その時」を待つのみ。

 

そのための準備は各方面から行う。

 

今の読書や人に会いにいくこともその一つ。

 

まあそれでも漏れはあるだろうけど、その時に頼れる人もいる。

 

運命を生きることを決めてしまえば、考えも変わる。

 

今は

ただただ

ついている

心から思う。

「ゴニョゴニョづくり」



相馬で高橋博之氏の話をお聞きする。
尊敬する小幡広宣さんがFBであげていたのを見て発心。

そうま食べる通信過去号も並ぶ。

f:id:japan-energy-lab:20180622150606j:plain




多岐にわたる話だったが、

都市と田舎をかきまぜた活動で、

都市のツルツルとした関係性に物足りなさを感じるなか、

田舎のゴニョゴニョとした関係性に居心地の良さを覚えている。

 

昔は田舎の濃密な関係性がうざったかったはず。

私とて、親戚づきあいは大嫌いだった。

 

それで都会的な生活をして、寂しさは消えなかったし、

まあ、田舎でも寂しい時はある。

ただ、一人の時間 孤独を楽しめるようになってきたし、気心の合う人との時間は濃密でもありながら、ゴニョゴニョとした時間も過ごせる。

 

ここにヒントがあった。

 

これから、いわなの郷にしろ、川内村に人が来た時にいかに
ゴニョゴニョ

をつくれるか。

 

言い換えれば、場所との関わり以上に人との関わりをつくること。

 

今までのような観光案内マップのようにはいかないが、

ゴニョゴニョを作り出そう。

 

小幡さんにはホテルの手配と獺庭さんによる送迎手配までしていただいた。

7月の相馬での海びらきとお祭り、また海の家。

何かしらお手伝いしたい。
有志の資金援助にもいくらか参加させていただいた。

 

海の男たちゆえの人間関係。

海では一瞬遠慮したら一日売上がまったく変わってしまう世界。

いかに自己主張するかが大切。

それゆえの喧嘩もあったようだが、震災を経て新たな関係性に

そうま食べる通信は貢献している。


風評被害なんて言って悩んでいる人たちは

そうま食べる通信メンバーに会ったらいい。

きっかけを得るとともに、何か悩んでいた自分もバカバカしくなるに違いない。

私もそうだったように。

ちなみにこちらも是非!

www.facebook.com

47caravan.com






最後に
博之さんに

「まだいるの?」

「変態だなあ」

最高の褒め言葉をもらってしまった。

 

確かに変態なのだ。
変態は大変だけど、必ず大きく変わる!


「歴史から未来が変わる」

 

 

 

前回の続き。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

 

 

東北の歴史について

というより

日本の歴史について
驚くような説を唱える方がいた。

 

毎週日曜配信のこちらのメルマガ

 

 

「国際派日本人養成講座」

 

No.1066 日高見国の物語 ~ 田中英道著『日本国史』から

http:// http://blog.jog-net.jp/201806/article_2.html

 




紹介されている田中英道氏の説です。

 


日高見(ひだかみ)国がその昔東北・関東にあって、

神武東征は実はここからぐるっと回って九州に行ったのだという。

 

にわかには信じられない話だが、それも現代の常識にとらわれているからかもしれない。

 

竹内文書というものがあり、その中にはモーゼもキリストも日本から行っていて、事実キリストの墓は青森県に存在する。

 

全く異なる歴史が解き明かされるかもしれない。

 

歴史が変わることは、そのまま未来が変わること。

 

明治維新前には、歴史が流行した。

水戸光圀大日本史日本外史と行った歴史書には、

当時武家の筆頭の徳川が日本を支配していると当たり前のように考えていたが、

あくまで征夷大将軍の徳川についての記述を、天皇陛下の記述に比べて、一段下げて書いている。それは、あくまで天皇の下に武家の徳川がいることを発している。

その背景があって、尊王攘夷が最終的に支持されたわけだ。

 

日高見国も定かではないが、茨城県あたりにあった可能性を解き、

水戸藩水戸光圀の存在とも符合する部分がある。

今歴史が流行っている。
自虐史観ではまだ片手落ち。
今後未来を作る歴史が形成されるものと思う。

 

 

 


なお、ロシア在住の北野氏のメルマガも参照ください。

archives.mag2.com

 

 

 

「分離から統合へ 〜あやしい話〜」



 

解禁。
といっても以前から小出しにしてきました。

 

 

こちらの本を読む

f:id:japan-energy-lab:20180617174122j:plain

 

 

天外伺朗氏が著作。

 

ソニーでCDやAIBOの開発を主導したあの方だ。

 

現在は生前葬?も済ませ、一度本名の方は死んだこととして

天外伺朗として活動されている。

 

コツ塾で学んだ際もよく話に出て、
今でも実践する「鳥の瞑想」は氏の発案という。

 

また、競争に勝っていても幸せを感じられず苦しい中で仕事をされていたことは、

幸せとは何かを考える大きなきっかけになった。

 

 

さて、

私は福島県川内村に来て、この土地があまりにも関東の文化とかけ離れていることにずっと不思議な感覚があった。

様々な方から話を伺って、今は東北という土地は古代からずっと守り続けている精神性があると認識している。

 

それは食べ物がわかりやすい。

基本自給自足で、野山のものを今でも大切にしている。

きのこも山菜もいわなだってそうだ。

関東に暮らしていた時は考えたこともなかったこと。

 

関東の人は戦後の変化に適応して来たけど、

東北人はこと山菜・きのこといった食べ物を捨てたりしなかった。

その文化を支えているものこそ精神性であり、文化だ。

 

おそらく歴史背景から違うと思って来た。

 

例えば、東北青森の三内(さんない)丸山遺跡は縄文時代(数千年前でよかったか?)、数千人(だったか?)の集落を有していて、当時としては大都市といって良い。

しかしながら、現代日本で東北を大都市とは言えない。

三内丸山遺跡の頃から現在までの間に、大きな変化があったはずだ。

 

 

その一つに、

坂上田村麻呂による蝦夷征伐があると私は考える。

もちろん現代の通説では、

蝦夷のトップの阿弖流為アテルイ)が坂上田村麻呂に負けたことになっているが、

何かそこに疑念を持っていた。

 

そこには直接関係ないが、

天外氏は

とある宮司さんにこう言われたと書いている。


「はるか昔、この日本列島は至る所にアイヌが住み着いていた。大和民族(和人)はそれと戦って北海道まで追い上げていったのだ。

 神戸、水戸、八戸など”戸”がつく地名は、虐殺されたアイヌの怨念が封印されている場所だよ。この洞戸もそのひとつだ。

 あなたたちの祈りで、この場所の封印はかなり解けてきた」

 

「日本の建築には、東北を鬼門と称して結界を張る様式があるが、あれは東北からのアイヌの怨念を封じるためなのだ。徳川家康は、日光東照宮を建設して自ら神となったが、東北からの怨念が江戸に入らないように守ろうとしたのだ。

 いま、その怨念が日本中で解放されつつある。もういまでは、東北の鬼門に結界を張る必要がなくなってきている。日本古来の伝統も変わらざるを得ないご時世になってきた。」

 

それで、一つ一つ怨念を解くために

天外氏は著書の通り、日本列島祈りの旅をはじめたという。 

 

大和民族アイヌを虐殺して怨念を残したことは、なんとなくそうだとも思うものの、

その怨念の封印を解くことで、

⑴東北の鬼門に結界を張る必要がなくなるか

⑵日本古来の伝統が変わらざるを得なくなるか

の2点はにわかには信じられない。

 

怨念が残したものは分離で、日本各地で怨念が封じ込められてきて、

こと東北にはたくさんの怨念が残っていた。

一戸から九戸まであることなどを考えれば合点も行く気もする。

東北の鬼門に結界を張ったせいで(おかげで)、文化も古いまま残された可能性もある。

 

また、

現代になってその怨念が解け始めているとしたら、その分離のエネルギーも変化するし、

日本古来の伝統が変わるというのも、分離から統合へ向かうのなら、決して悪いことではない。

 

著書では空海ほどの人物が、その怨念を封じ込めてきたのは、意味があるのではないかと触れられている。分離を推し進めてきた意図はあったのかもしれない。

 

一方で、天外氏の生き方を見ても分かる通り、勝つための努力は際限がない。

これで良いというのがないなら、ゴールのないマラソンを走り続けるようなもの。

 

戦乱の世は勝ち負けがはっきりするという意味では、分離も一つの方向性だったのかもしれない。それは、日本は分断統治されていると指摘する方もいる。

領土的にはアメリカに、精神的には旧ソ連に分断したという方もいる。

この議論は深入りしないが、
確かに二項対立がはびこり、その立ち位置に固執して、その先に進めない状況がある。
(厳密には進みたくないケースも多いが)

 

 

分離の最大のものが戦争だが、核兵器誕生後は戦争イコール地球滅亡でもあるわけだから、いつまでも戦をしている場合ではない。国が会社、個人レベルになっても同じことが言えるはずだ。

 

また、東北は戦には頓着せずに来た精神性が垣間見れる。

判官びいきが過ぎるかもしれないが。

分離が統合に向かっているとしたら、

今まで以上に良い時代が待っているとも言える。

 

 

私はにわかに信じられない
⑴東北の鬼門に結界を張る必要がなくなる

⑵日本古来の伝統が変わらざるを得なくなる

もあり得るのかもしれない。

 

AI化に伴ってBI ベーシックインカムが導入されると、

伝統、特に道徳は変わる。

 

「働かざる者食うべからず」

 

これは過去の遺物になる。その延長で考えるとありえない話でもないかなと思う。

 

 

分離については二項対立・二元論と関係があるように思うが、

また別の機会に記してみたい。