「獅子たる君へ」
君の話を聞いて
高村光太郎の詩「傷をなめる獅子」を思い出す。
この詩はこの本で知った。
この詩に出てくる
獅子とは何か。
執行草舟氏はこんな説明をする。
自己確立し、強く生き生きと、この世を生きようとする主体性を持ちたる自己を表す。森羅万象の全てを自己の責任として、この世に自分の足でしっかり立っている、真の生命の本源を示す語として私は解する。つまり、自立する自己そのものである。
まさに
君のための言葉だ。
人のせいにして生きる恥知らず・卑怯者が跋扈するこんな世の中で
獅子たる君は
深い孤独の中にいる。
さらに執行氏は最後にこんな文章を残す。
・・・我々は皆傷を負っている。しかし、その傷ゆえに、我々のいのちは燃ゆることができる。その傷が深ければ深いほど、実に我々は真の自由を得られる。この詩を愛する心は、自由を恋い慕うその願いにある。
傷という目に見える痛みを避けるように私は生きてきた。
でも、傷ゆえに、傷が深ければ深いほど、という。
この先人の言葉を私は信ずる。
さらに
・・・利害得失を通り越した生き方の中にだけ、真の生命の発露があるということである。生命の哀しみを知る者は、生きることそのものに持てる力の全てを尽くさなければならない。
とも。
我々は傷をなめ合う関係では無い。
美しい言葉で君を慰めようなんて気はない。
そんな杓子定規な美辞麗句を君が嫌うことも知っている。
今までの傷が、エネルギーを、反骨心を生み出してきたように
傷をなめる獅子の如く、
今は傷を悔やむこともせず、
ただただ、
「その時」のために力をつけよう。
そして、
与えられた運命を愛そう。