「火の喪失の先に」
前回の続き
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「友よ」から
ジョン・ダンの詩を取り上げる。
この本の中にあって、今までも読んできた。
でも、いっこうに理解できなかったのが
このジョンダンの詩だ。
私の心に
火が着きにくくなり、
私の体にも
火が着きにくくなるほど、
疲弊しきった時に
なるほど
これが火の概念か!
と突然理解できた。
中世から近代に移る時に、科学が台頭した。
それぞれを細分化して物質として理解しようとするこの思想は
その後現在に至るまで約400年間跋扈した。
その間、火は相手にされなかった。
火はエネルギーであるため、常に流動変化するのでとらえどころがない。
一方、変化しないものの方が扱いやすいので、そちらを中心に科学が築かれていった。
古代ギリシャから二千年引き継がれてきた総合的物質観としての「地水風火」の思想の中で、変化しない「地水風」ばかりを引き合いに出し、変化する「火」の概念を捨て去ってしまった。
人間も太陽も大地も全てが物質のかたまりとして見る科学の思想(近代の思想)を、中世の人間として寂しさ、悲しさを感じたのが、このジョン・ダンだ。
物質だけでなく、人間と人間の関係である、絆や愛、信と言うものもいくらでも断ち切れるものとなってしまった。科学は分割して考えるから。火の概念が消えたのは一つの象徴だ。
今につながる分断の基礎が出来たときだとも言える。
実際にはあるにも関わらず、
科学が火の概念を扱わないことで、人間の意識にのぼらなくなった。
人間は見たい現実しか見ない。
見えない人が増えてしまったとも言える。
逆に、見える人には見えている。
一方で、火の概念を求めている。
わたしだったら、ロックを求める魂がそれで。
サンボマスターの歌に炎を見出した。
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この困難の日々が聖地であり、
聖地を求める心が
黒が白になる。
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そう、
それが、
美しき人間の日々だ!
なお、ジョン・ダンの詩はこちら
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