「美しい星」
三島由紀夫氏が五十年以上前に描いた作品だ。
このブログでもなんども紹介する執行草舟氏の著書の中で、この本が度々紹介される。
三島由紀夫氏と若き日に直接会って文学談義をしていたという。
例えば、
この「美しい星」をまた五十年後に読んで欲しいと三島氏に言われた執行氏は、約束どおり読んで衝撃を受ける。東日本大震災後の2012年だったという。
また、この本の中に「水爆は最後の人間」の表現があることも執行氏は指摘していた。
それでどうしても読んでみたいと思い、随分時間をかけて読んだ。
まず、「水爆は最後の人間」のくだり。
原発事故を知るとそのリアリティがまざまざと浮かび上がってくる。擬人化した捉え方という意味でなく、事の本質を理解できない「地球人」に対する皮肉に満ち満ちている。
さらに、現代にも通じる日本社会に対する批判を、「宇宙人」が語る形での問題提起をしたかったものとも思う。
単純化すれば、
宇宙人が地球人を救えるか救えないかを議論する。
私の言葉で言い換えれば、
真心ブラザーズの「人間はもう終わりだ!」
これに同調する人とそうでない人の議論のようなもの。
大きく見れば、同じ形の話はあらゆる場面に出てくる。
卑近な例は陰謀論や終末論。
宗教的なとも言えるけど、終わって欲しい集団的無意識のようなものが垣間見れる。
もう終わりだという側に対して、そうでない論の一つに、
人間の美的感性に期待を持った言い方が出てくる。
三島の貫いた美学にも一脈通じる。
それは、美意識に生きた昔の日本人の気概が戦後なくなったことに強烈な形で抗議した死だったと捉えている。自殺でなく、自死と表現すべきものだ。
その目で今福島県で生きていると、「もしかしたらあの人も自死だったのではないか?」と思う方が何人か見出せる。つまり自らの誇りのために、死を選んだ人たちがいたのではないか?
言い換えれば、自らの美学に生きた人がいたのではないか?
この美学・美意識こそが未来を創るといっているように感じた。
美の元は詰まる所、感性。感じること。
以前、こんなブログも書いた。
japan-energy-lab.hatenablog.com
今後できることとして、
日本にはあらゆる美学・美意識がある。
私としては炭焼きを通して、茶道の茶炭の生産を通してその一翼を成したい。
また
執行氏に「五十年」と期限をつけたのはなぜか勘ぐりたくもなるが、
たまたまだろう。
つまり、三島由紀夫は東日本大震災・原発事故を予見していたとは思わない。
ただ、違う形の警告を発していたことは焦眉の事実だ。
思考停止の現代に警告を発したいし、
感性停止で生きざるを得なかった自分も肯定をしたい。
その先に、人も肯定できると信じるから。
最後に
この本にたどり着いた来し方にも、もの思う。
美しい星
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執行草舟氏
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ドクスメ清水店長
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池間哲郎一日一言
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リアルインサイト 鳥内さん
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西鋭夫氏
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水口清一氏(ロストテクノロジー研究所)
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たくちゃん(野澤卓央氏)
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ぷれしーど 高島亮さん
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ひすいこたろうさん
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多少端折ってるけど、人生いろいろ。
悩まないと三島由紀夫の本を読まなかった。
これもまた良し。
真心ブラザーズの曲もまた、反語表現に、希望に、本質を見る。