japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「YES!」

おはようございます。
今日は早朝からバスに乗って
東京に来ています。
これから忙しい一日になります。

東京は暑くてビックリ。

氷河期が来てもおかしくないなんて学者の話が
ウソのような暑さです。

では、こちらをどうぞ。



炭焼プロジェクト エピソード3 〜YES! まつり〜

このタイミングでこの動画を見なければ
ただ「まつり」だった。

でも、今ここで(Hic et nunc)この曲と出会った以上、それは必然だ。
「YES」とつけると蛇足のようだが、上のサブタイトルをつける理由には十分だ。

www.youtube.com



サンボマスターの宣伝をするようだが、この曲は魂を吹き込んでくれる。
私自身は
サンボマスターが世に出なければ、
ボーカルの山口隆さんの出身地・会津地方をたびたび訪れなければ、
福島に移住することもなかったかもしれない。


時代は、有用性を重んじる時代だ。

私に役に立つ。だから価値が在る。
あの人はよく仕事ができる。だから価値が在る。
この道具は使える。だから価値が在る。

本当にそうだろうか?
それだけの見方でいいのだろうか?

 

これは世界に対してというより、自分に対しての問いだ。


役に立たなくなった瞬間、価値がなくなるものばかりだ。
人工知能(AI)が進展したら、資格すら価値のないものになり、
社会に有用性のある人などほとんどいなくなる。

フランスの思想家・バタイユは、

この「有用性」に対して
「至高性」役に立つと否とに関わらず価値ある物事という概念を対置させた。

井上智洋氏は著書「人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊」(文春新書)の中で、
以下の言葉を使って説明する。

バタイユはこう言っています。「天の無数の星々は仕事などしない。利用に従属するようなことなど、何もしない」。
 人間の価値は究極的なところ有用性にはありません。人の役に立っているか、社会貢献できているか、お金を稼いでいるか、などといったことは最終的にはどうでも良いことなのです。…

人工知能が導く将来を描く若い経済学者がこう言っている。
人工知能等のテクロノジーの変化と時代自体の変化も相まって
そんな時代は近いと私も考えている。
 
ジョンレノンとオノヨーコの出会いのきっかけも「YES」だった。
オノヨーコの個展によったジョンは、
はしごを上った先に「YES」と書かれた紙がかかっている作品に感動する。
ジョンのミュージアムには実際のものが有り、それはからだを動かせば、ジョンの気持ちがわかる気がした。
 
そう。
有用性にとらわれた自分が、至高性を取り戻す時でもある。
 
そして
前掲書に出て来るケインズの言葉を引用すれば、
 
 われわれはもう一度手段より目的を高く評価し、効用よりも善を選ぶことになる。われわれはこの時間、この一日の高潔でじょうずな過ごし方を教示してくれることができる人、物事の中に直接の喜びを見出すことができる人、汗して働くことも紡ぐこともしない野の百合のような人を、尊敬するようになる。
 
そんな時代も間近。
だから、YESなんだ!

ずっとしたくて、できなかった全肯定を今ならできる気がする。