「臥薪嘗炭」
このブログがずっと気になる。
まあこういうこともあるよね〜
俺も親のせいにして生きてきたしね〜
でも、自分で決められるんだよね〜
くらいの感じだった。
けど、ちょっと違う。
あああああああああ〜〜〜〜〜〜
今の自分が気づくことはこれだった!
つまり、自分の思いこみに気づくきっかけ。
「失敗してはいけない」という思いこみ。
それは親子関係の中でつくられ強化された。
でも、それは自己意志で変えられる。決められる。
コツ塾で教わった信念(思いこみ)の書換を行なう。
肩の力が抜ける。
時間がたつと元に戻ることも(あることを)知っているから
また確認はするけど、
変に自分の信念(思いこみ)に右往左往されてただけだった。
その後ふと思いついた本を読みはじめる。
「幸せの神様に愛される生き方」白駒妃登美・著 (育鵬社)
以前感動して読んだこともすっかり忘れていた。
再読して、まとめる。
著者のガンが消えた奇跡について、
ガンと戦わない(マザーテレサが反戦を叫ばなかったように)
「誰かの幸運の女神になろう」(求める生き方から与える生き方へ)
「今ここ」を受け入れてそこでできる最善をする(目標達成でなく天命追求)
二元論を乗り越える(善悪、好悪でなく、あえて言えば粋か野暮か)
人生全てが贈り物(いいことだけが贈り物でない)
ジョハリの窓を通した話が面白い。
参考
横軸が自分はわかっている・わかってない
縦軸が他人にわかっている・わかってない
のX-Y平面上の自分も他人もわかっていない部分に光を当てる方法が二つある。
誰かを助けたり、応援するために、自分にできることを自己開示して、精一杯取り組むこと。
『自分のことを本当に思ってくれる人たちの言ってくれることに素直になる』こと。
自信をつけされることを考えるよりは、自信がなくても大丈夫なのだと思う方が、人生をプラスにしてくれるのではないかと思うのです。
また、この本には
執行草舟氏の『根源へ』にある
「『自分とは何か』を問うのでなく、『何が自分か』を問え」の意味も描かれていました。
それは『自分探し』ではなく、『お手本探し』というシンプルなもの。
『自分とは何か』という『自分探し』を考えれば当然迷宮に入る。そんな難題は一生かけても答えられないかもしれない。でも、『何が自分か』つまり、『お手本を探す』ことならできるに違いない。
しばらく臥薪嘗胆の思いでいた。
否、炭焼きをどうしたらいいかばかりにとらわれていたから
臥薪嘗炭だった。
それでいい。
それでいいではないか。
今悩めることはまた幸せなことだ。
ただそれだけのことだった。
気づいたら前へ進もう。否、まだ前に進めないかもしれない。焦らなくていい。
臥薪嘗炭の思いで。