japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「黒が白になる」



一昨日のこと
疲れきって、何もしない時間を過ごす。

ただただ、疲れた。

ここまで疲労困憊したのも久しぶりだった。

何気なく手にした本はこちら

「友よ」執行草舟講談社

その中に
19世紀後半〜20世紀はじめにドイツで医師・作家として生きた
ハンス・カロッサの詩に目を奪われる。

詩「至福への確信」を最後に引用したが、
その解説に次の言葉がある。

 おのが魂が、真に聖地を目指したならば、如何なる艱難辛苦も愉快に変わる。
 黒が白になるのだ。

今の自分にも重なる言葉だった。


斎藤一人さんの言葉で

「過去を変えられる」と言うのがある。

過去の事実は変えられないけど、過去に対する見方は変えられる。
それでオセロに例えて、黒を白に変えるって話がある。

そこにもつながる話だなあと思った。

改めて解説の言葉を掲げる。

 おのが魂が、真に聖地を目指したならば、如何なる艱難辛苦も愉快に変わる。
 黒が白になるのだ。

 
訳者は「故郷」とされている語を「聖地」と訳した。

別のところでこうも語る。

 故郷に恋い焦がれ、憧れて生きるならば、そこは人間にとっての「聖地」となる。
 天国だろうと地獄だろうと、すべて人間にとっては聖地となるのだ。

聖地とは、こう説明されると感慨深い。

現代思想
言い換えれば
物質至上主義、科学思想、民主主義思想。
どちらがよくてどちらかが悪いと言う二元論に貶める。

この「聖地」の言葉の解釈を使えば、西洋にも一元論があったことを思う。

とはいえ、
「故郷」を「聖地」にする“何ものか”は、
生きる人間の主体性にかかっている。

梯子を昇るも、
飛翔するかも、
おのが判断。
その人の意志。
その人の主体性なのだ。

その主体性の発露は、現代思想ではわかりにくくなってしまったもの。
魂であったり、火の概念、エネルギーを生み出す“何ものか”だ。

目に見えないが、確実にあるものを信じて。

そして、

 愁うることなかれ、汝よ。

 
 
 



至福への確信   ハンス・カロッサ  執行草舟・訳

げに、汝は始原の光より生まれし者なり。
この世の仮装(けそう)を身に纏い、
汝はこの世に来たりぬ。
聖地を信ぜよ。愁うることなかれ、汝よ。

汝、聖地を信ぜよ。そは遍満せり。
汝よ、己(おの)が魂を感ずるなら、
漆黒の中(うち)にも燦たる輝きを見出さん。
汝よ、始原への道は膝下にある。
深き縁で結ばれし者の編む不可思議なる梯子を、
汝よ、よく愛でて、敢えて昇るがよい、
大いなる力が捉えるその日まで、
汝よ、ただひたすらに昇るがよい。
前人が未踏の深淵よ、
その深淵を垣間見て魂が震撼せば、
汝よ、飛べ。汝の飛翔は聖なる者とならん。
げに、聖地の光が汝を包み込むであろう。

「友よ」執行草舟講談社)より