japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村に2013年移住。いわなの郷で働いております。炭焼き・移住促進・成長への興味を元に、全てのエネルギーの活用を研究することを建前に、本ブログでは成長の観点で思いのままに書いています。

無為 〜GWに学んだこと⑵〜

こちら雨降りですが、
BGMはこちら


新しい朝 サンボマスター



今回は、 

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 
この続き。





礼を重んじて生きてきたことに気づく。


この本からね。

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老子本は
今までもずいぶん読んできたけど、
感じ方が今までと違う。

この本が…もあるけど
自分が変化したから…が大きいか。

それで
礼とは目に見えること。
礼儀って言うけど、挨拶とかのこと。

けど、それって、
見返りを求める部分が多いし、
時にそれはルール、法律にもなりがち。

目に見える形を意識して学んだ時代を思い出す。

それはそれで大事な訓練だったけど、それだけではすまないんだよね。

それで全てだ!って思ったら堕落がはじまる。

身を以て痛感するところ。




論徳第三十八には


徳仁義礼と言われる。
礼よりは義。義よりは仁。仁よりは徳。

さらに
徳よりも道だと老子は言う。

道って何か?って色々な表現があるけど、
無為に尽きる。

無為については、

爲政第三十七にこんなことを書かれている。

道は常に無爲(むい)なれども、而(しか)も爲(な)さざる無し。


「道」は作為的に、人為的に何かをやろうということは全く無い。

だから行えないことが無い。

 

とさえ言う!

行えないことが無いとは!!!

無為とは何か?

 

歩き始めの幼児に寄り添って歩くように、”緊張感を持って見守る”ことだと言う。

 

 

解説を引用する。

 

暮らしの中で言えば、一日の中にも流れがある。

仕事でいえば、快美の中にも流れがある。

スポーツでいえば、試合の中にも流れがある。

この流れを緊張感をもって見守ることだ。

それが無為だ。

そうすれば、高速道路の流れに入るように、円滑に進むのだ。

 

自分がこうありたいというものをしっかり持った上で、

緊張感を持って見守る。

しかも、
歩き始めの幼児に寄り添って歩くように!

 

それでいい。

 

自分の思い通りにしようなんて思う必要さえないのだ!

 

 

さらに自分の思い通りにしたいという欲が出た時の対処法も書かれている!

 

 

 

化(か)して欲作(おこ)らば、吾(われ)將(まさ)に之を鎭(しず)むるに無名の朴を持ってせんとす。無名の朴もてせば、亦(また)將(まさ)に欲せざらん。

「無名の朴」に帰れと道はいう。

朴とは、切り出した木の事。

まだ修行中の身であった頃のやるせない自分に帰れば、その欲が過度なものなのかが解ると。

 

 

これはすごい考え方だ!

 

いかに自分の思い通りにするかばかり考えてきたけど、

それって全く間違っていたことに気づかされる。

 

人為、作為はうまくいかない!
無為自然という言葉は、
無為にすれば、自ずと然りの結果が得られるということ。

 

 

 

自分の身近に即して考える。

 

アレヤコレヤと悩んできたけど、自分にできることは限られる。

 

「人事を尽くして天命を待つ」なんて思い、できることを懸命にやってきた。

 

それも半分当たっている。
でも、半分は間違っている。

 

自分のありたい未来をしっかり持って、今自分に対してはできることをするけど、

相手に対しては全く求める必要はないのだ。

 

この、「相手に対しては全く求める必要はない」ができなかった。

 

相手に対して、こうしてほしいは伝えていい。
けど、それができないことを注意したり、仁に反する物言いをするのは不必要で、道に適ってない。

 

 




人にあれをさせようこれをさせようとしてきた自分を恥じる。

また、川内村炭焼きプロジェクトでは、何かしなければと焦り続けてきた。
でも、必要とされているなら、「道」はある。

 

 

 


ジタバタすっことねーべ

 

 

 


さらに!


論徳第三十八

には以下のような記述もある。

夫(そ)れ禮(れい)は忠信の薄(はく)にして亂(らん)の首(はじめ)なり。

 


世が乱れる前兆として、礼を声高に強制することが出てくる。

礼とはルールと解釈していい。
道徳を強制する今の空気感は行き過ぎているように感じる。

 

忠・信を大切にする気風が薄くなったことで起こるという。

まさに今がその時。
今という時代に自分が流されてしまったことを思い起こす。


 

つまり、今という時代は、世が乱れる前兆でもあるのだ。

道のない時代とも言える。
何が正しいのか正しくないのかわからない時代と言ったらいいか。

 

 

つまらないことに一喜一憂してしまっていた。

ともあれ、
今回のGWでの助っ人は最強ではあったが、
私自身が以前より、人をコントロールするのをやめた結果でもあった。

私が親方に文句言われないようにと
いろいろ口うるさく言っていたから今までうまくいかなかった。

今回多少でも無為に動いたことで、それぞれの人が自ら動いてくれた。

それは
相手を信頼する「信」でもあるし、
そのためには
自分を信頼する「信」もなくてはできなかった。


何も進んでないように感じることもあったけど、
少なからず成長していることも実感できた。