「反薩長史観を超えて」
以前書いていたものを
今になってあげてみる。
しばやんの日々のブログに
明治維新時の戊辰戦争について書かれている。
会津藩や仙台米沢藩等の奥羽越列藩同盟の東軍側はドイツから融資を受ける予定だった。
これは結果的にその前に新政府軍たる西軍が東軍に勝つことでその機会はなかったが、
もし東軍が勝っていたら?
もしドイツからの融資を受けるようになったら?
日本はもしかしたら植民地化していたかもしれない。
なんて考えた。
だとすれば、
どう考えても会津が負けなければならなかった。
と考えるならば・・・
ブログの中にある「母成峠陥落」が最大のポイントとなる。
会津藩は、進路となる要所要所にツワモノを配置し、会津の鶴ヶ城周辺は手薄になっていた。
当然その一つの母成峠が落とされれば、城内に容易に入ることができる。
ここが不思議なのだ。
こんなリスクのあるやり方をするのも変な話。
私の仮説。
この着想は、会津が負けるために行ったことではないか?
つまり、会津藩にそのような人物が潜入していた。あるいは新政府軍(西軍)が勝つように動いた人物がいた。
そう考えた方が自然だ。
「坂の上の雲」に代表される明治維新から今までの流れを薩長史観とするなら、
これは、現状では二元論に見える。
薩長憎しで終わってはもったいない。
全く違う補助線を使って、新たな見方を炙り出す必要があるように感じる。
その点で落合莞爾氏の史観は本物のように感じる。
参照
歴史が未来を拓くと信じている。
なぜなら、個人にとってセルフイメージ(自分が自分に対してどんな人間と思っているか)が大切で、未来をも変えてしまうように、国(あるいは地域)もセルフイメージが大切でその未来さえ変えるものだからだ。
現状では、日本は第2次大戦でアジアに対してひどいことをしたという自虐史観。
これでは、日本人の誇りを持てない。
しかし、優越感と劣等感とは紙一重なので、健全な誇りを育むことは難しいと考える。
やはり、これから二元論を乗り越えていく。
であるなら、価値観の転換とも相まって、歴史観自体も転換を余儀なくされる(ととらえている)。
単に反薩長で終わらないものに必ずなると信じる。