japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村で移住4年半。いわなの郷で働きつつ、日本一だった炭焼き復活を期す川内村炭焼きプロジェクト、移住者だけでなく新たな場作りを考えるCafe學校〜サロンde川内〜を主宰。本ブログでは、炭焼きPJを中心に成長の観点で好き勝手に書いています。

驚愕!

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第1次世界大戦後、ドイツの捕虜が徳島県鳴門市に収容所が作られる。
会津若松出身の松江豊寿所長は、捕虜のはずのドイツ人に対して手厚くもてなした。


上のしばやんさんのブログを引用する。

『ドイツニュースダイジェスト』の1000号記念特集に『板東俘虜収容所の奇跡』というレポートを載せている。それによると、他の収容所から送られてきたドイツ兵たちに対して、松江所長はこう語りかけたという。


諸子は祖国を遠く離れた孤立無援の青島において、絶望的な状況の中にありながら、祖国愛に燃え最後まで勇戦敢闘した勇士であった。しかし刀折れ矢尽き果てて日本軍に降ったのである。だが、諸子の愛国の精神と勇気とは敵の軍門に降ってもいささかも損壊されることはない。依然、愛国の勇士である。それゆえをもって、私は諸子の立場に同情を禁じ得ないのである。願はくば自らの名誉を汚すことなかれ……」
 http://www.newsdigest.de/newsde/features/6907-kriegsgefangenenlager-bando.html

引用はここまで。



こんな日本人がいたことにもまた驚く。

ロシアのステッテルに帯刀を認めた乃木希典だけでない。

会津の志士がいたのだ。

明治維新から連なる薩長史観に対する反動として
維新150年を節目にした反薩長史観の流れも出てきた。

ある程度この二元論は続くだろう。
しかし、復讐することが目的ではないはずだ。

遺恨がないと言ったら嘘になる。
それでも、次の世代に何を残すかを真剣に考える時。

 

やはり、歴史を今までとは違う書き方が必要とされる。

なぜなら、歴史が未来をつくることにもなるのだから。