「Cafe學校の説明について」
どう説明すべきかずっと考えてきた。
移住者コミュニティというのはもはや適切な言い方ではない。
移住しても帰ってしまいたい人はもうあまり多くない。
(もちろん、その時は力になりたい場でありたいとは思う)
復興の段階は地域によってまちまちだが、川内村に関しては帰村からもうすぐ6年。
段階が違うことをまた実感する。
その想いも包括しつつ、チャレンジを応援する場にできないかと模索して来たけど、
シンプルな話だ。
そもそも、このネーミングは草野心平氏の『酒場(バー)學校』からつけたもの。
心平さんは酒場が学び舎だった(というのが適切かわからんが、そうだったようだ)
翻って、Cafe學校も酒はないけど、そんな場にしたいし、そうする と決めている。
(酒は個人的には大好きですが)
来た人は時に生徒になり、時に先生になる。
授業は、来た人の「問い」から始まる。
その場に先生がいるかもしれないし、いないかもしれない。
でも、出会いは必ず一瞬足りとも遅からず早からず出会えるものだ。
(と同じ趣旨を森信三氏も言っている)
問いを立て続ければ、必ずそれに見合った答えにちょうどいい時期に出会える。
それは実はどこでもできる。
大都会・東京・新宿ゴールデン街にあった『酒場(バー)學校』に比べたら、
ザ田舎・福島県川内村の銀座?・信号そばのCafe Amazonで開催する「Cafe學校」では、
出会いにくいかもと思うのももっともだ。
確率論では見えない
目に見えない
「縁」を信じる
「人」を信じる
「場」を信じる
ここ川内村でもできることだ。
村の規模から考えれば、たくさんの人に来てもらう必要はない。
あまり人が多いと、一人当たり話す時間も少なくなる。
やっぱり話をしたい人が多いこともまた実感する。
ここから先は脱線した話。
別の切り口で言うと、陰陽の見方。
東洋思想の根本概念でもある。
表裏は近い言葉だけど、本質は随分違う。
陽の時代から陰の時代に変わりはじめていると東洋思想研究家、ロストテクノロジー研究所の水口清一(きよかず)氏も指摘している。
ロストテクノロジー研究所 太古の叡智に学び、豊かな人生の創造を目指す
唯物論的世界観では切り拓けない世界を今切り拓こう。
唯物論的世界観とは西洋で生まれた科学の思想。
そもそも東洋には
自然を支配する発想もなければ、疑うところからはじまる科学の手法もなかった。
どちらが正しいと言うのでなく、行き過ぎたもののバランスを取るタイミングだと言うことだ。
希望は絶望から生まれるから
また
東洋西洋は800年周期だから
また
AIはじめテクノロジーの進展が実は新しい時代を可能にするから
また
はやぶさ開発の糸川英夫氏は21世紀はバラ色の未来が待っていると言っているから
等々
理由づけは後回しの問題。
どうしたいか?
今この時代を生きる人々の意志の問題でしかない。
陰の時代の一つ表現として、
一人の力が強い時代だ。
今までの
陽の時代は大企業や大国をはじめ、大きい組織には小さい組織が叶わない時代であり、
組織の中で一人一人は役割が固定しており、何かチャレンジは難しかった。
今後の
陰の時代は一人の発信が大きな影響を及ぼすこともできる。
役割も固定化せず、チャレンジしやすい。
ツイッターの拡散やユーチューバーの登場は兆しとも言える。