japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。 福島県川内村に2013年移住。いわなの郷で働いております。炭焼き・移住促進・成長への興味を元に、全てのエネルギーの活用を研究することを建前に、本ブログでは成長の観点で思いのままに書いています。

「ある」

 

 

昨日のとこさんとのFBのやり取りで気づいたことがあった。

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髪の毛があるとか、ないとか。

まあ最初は随分気にしてたからなあ(笑)

今は覚えてもらいやすい。
反面、人によっては同じ顔に見えるようだ。

その人の認知の線引きは頭でしかないから(苦笑)





気づいたことはこの先で、

それは「ある」「ない」の話。

 

昨日も引用したエルンスト・ブロッホの言葉。

 

「私はある。我々はある。それで十分だ。ともかく始めなければならない。」

(Ich bin.Wir sind. Das ist genug. Num haben wir zu beginnen.)

 

ブロッホは、
音楽には文明の初心の頃の精神のあり方

「原故郷」(die Heimat der primitiven)に近づくことができると。

 

「原故郷」では、世界で今必要なものは、実は不要だったと気づき、それを投げ出せる。

あらゆる虚飾を取り去ったむき出しの実存になった時に、希望をつかむことができる。

そこまで来て初めて

「私はある。我々はある。それで十分だ。ともかく始めなければならない。」

(Ich bin.Wir sind. Das ist genug. Num haben wir zu beginnen.)

 

となる。

 

概念的だが、非常に共感できる話だ。

 

 

目前の世界に一喜一憂してしまうが、本当に必要なものは実は少ない。

私は死を意識した時に、その辺りが明確になったし、まだまだ深める必要がある。

 

それは生きるために必要なものは生物的なものと人間的なもの、
そして自分の魂の発露から行なわれるものとを含めてもそう多くない。

案外縛られて生きている。
社会的制約というだけでなく、自分自身の思い込みが強い。

 

 

「ある」からはじめるには、一定のプロセスが必要だ。

「ない」にこだわるのも致し方ないし、それを人に求める必要はない。

 

自ら始めればいい。

ただただ、

私はある。我々はある。それで十分だ。ともかく始めなければならない。

(Ich bin.Wir sind. Das ist genug. Num haben wir zu beginnen.)