japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所・関孝男です。

「炭焼師匠との出会い」



※※※かなり長いので、気が向いたらどうぞ※※※

今になって振り返ると、
私は炭焼師匠と出会って、世界が変わってしまった。

 

あれだけ嫌だった川内村が、大好きになった。

師匠とただ作業するそれだけのことがものすごく楽しい。

土いじりをすることで、何かパワーをもらっているようにすら感じた。

(実際元気のないときは、土をいじると元気になると言う方もいる)

 

そうなると、

今まで会った人の印象さえ変わる。

 

今までも、人のいいところを見る努力をしてたけど、

やっぱり努力しないとできないことだった。

 

村の人が、またいい人に見えてきた。

 

極端かもしれないけど、

会う人全て敵に見えていたのが、全て味方になったような感覚だ。

 

前々から師匠を持つべきという方もいたし、その通りだとも思っていた。

ただ、それを踏み込めなかった。

 

私にその度量がなかったとも言えるが、

炭焼に、師匠に出会うことが決められていた

そう考えてもいいのかとさえ思う。

 

そんなわけで
師匠に頼まれたわけでも、

誰かにそうした方がいいと言われたわけでもなく、

 

炭焼を産業にする

 

これは
夢とか目標とか志とかでなく、

もう自分の中では当たり前のこと。

 

改めて考えると不思議だ。

決して立派な人でもない。

それなのに、ここまで惹き付けられるのはなぜだろうか。

 

昨年の夏秋は、土日なく働いていた。

雨がお休みの日で、家族が心配するほどだった。

 

それは

頼まれたことは断らないから。

自分が断ったら、相手が困ることもまたわかっているから。

無私で、人のために生きる人でもある。

 

そして

また、

今までの私がしてきた山を上り詰める生き方と真逆だった。

 

むしろ、全て受け入れる器の大きさにただただ感服するばかりだ。


一昨年の10月だったか

暗くなってから 突然家に押し掛けて

炭焼をやらせてほしいと言っても 断らないのはやはり背景がある。

 

高みを目指すわけではない。

でも、大切にしていることも忘れない。

一歩一歩踏みしめて、山を下りるようなイメージだ。

 

師匠の姿勢から

無意識に自分との比較をして

一人反省したり、納得したりしてきた。

 

それと

合わせて

私の母のことも書いておきたい。

 

 

父は二年半前に亡くなった。

三年半前に移住を決断したのは、両親ともに長生きすると思っていたから。

 

それが、

一度両親を村に案内してすぐ

ガンが見つかり、あっという間に亡くなった。
ビックリするほどの展開だった。

 

あれだけ健康に気をつけていたのに、

腹が痛かったのを我慢していた。

母にガミガミ言われるのが 余程嫌だったのだろう。

 

この父の

死ぬこと以上に 

母にガミガミ言われるのが嫌な気持ちは痛いほどわかる。

 

父が亡くなったので、川内村を離れて地元に帰る。

三年間は自分との約束なので、その後に。

 

ただ、炭焼が面白くなってしまい、帰ることができない。

母も元気なので、今戻ってもケンカするだけだから、と自分に言い訳をする。

 

話を戻す。

母を村に連れてきた時に、

村の人の好意を受け取れない姿を何度も目にした。

うれしくないわけではないけど、そのまま受け取れない。

遠慮するのがクセと言えばそれまでだけど、

そこまで遠慮する必要も無い場面もあった。

 

あ!!

これはちょっと前の自分の姿だ!

と気づく。

 

ホント良くしてくれた人は、

移住する前も後も きっといた。

でも、こちらが受け取れなければ、好意だとさえ思えない。

 

師匠に会ってなければ、

母のように好意を好意として受け取ることもできずに

生きていたかもしれない

よくよくわかった。

 

時間がたつとわかる師匠の存在感の大きさ。

 

そんな出会いは

もしかしたら

誰にとってもあるのかもしれない。

 

私の場合は40歳を過ぎてだった。

 

早い遅いは、つまらない話だ。

その人のタイミングもある。

 

炭焼を覚えるのに どんなに早くても10年。

私は50を越えて一人前になれるかどうかの世界。

 

それも全てタイミングだ。

言い換えれば、運命か。宿命か。

 

 

この写真は ある取材の際に撮って頂いた。

ベラベラとよく話したおかげで、ずいぶん頭も整理された。

アウトプットの大切さもまた思い起こす。

 

そう。

もう2017年。

震災から六年を迎える年。

私も移住して四年。

 

移住してきたのに

戻って行く人が多いことに心を痛めていた。

とはいえ、

何をしていいかわからなかった。

 

でも、何かしようと

今回のカタチを思いついた。

 

まだまだ、上手にやろうとする自分もいますが、

師匠だったらと考えて、今回も取り組んでみます。

 

 

f:id:japan-energy-lab:20170119121107j:plain