japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「LIFE TREASURE」

 



先日たまたまオンライン上映していた映画を見た。
すごい!

ぜひ見て欲しい。

2020.3.31まで無料

info6146898.wixsite.com

 



以下は送った感想をそのまま引用します。

大感動でした。
チャレンジする楽しさを伝えるものだった。
その楽しさは、仲間と一体になる楽しさ。

結果に固執しない姿勢が、仲間全員でという姿勢につながる。

なんだか結果にこだわってきた自分がバカバカしくもなった。

結果でなく、過程なんだと思う。

もっと楽しむことが大切だってことを教わった。

「何のためのライブ配信か」

 

 

 

市川さんとは定期的に行ってきたライブ配信

ザキと今回やってみた。

www.facebook.com

 

 

 

 

地域PRにはなっているかも。

 

それ以上は難しいかなあ (笑)

 

何のために行っているかは、あやふやだからだ。

 

 

では

それは意味がないのかと言ったら、またちょっと違う。

 

 

普段目的志向で動いている ことにもよくよく気づいた。

 

むしろ、無目的に ただやってみることもいいかもしれない。

 

ライブ配信は続けてみようと思う。

 

 

「平等とは 人権とは  権利とは 義務とは 」

 

 

コロナウィルスのパンデミックが続く。

お子さんをお持ちの家庭はお疲れとも思う。

また、地域によって休校しないところがあったり、

その不公平感も疲れを増す原因かもしれない。

 

また、海外渡航した日本人が外国で暴行を受けたとか。

あるいは、日本に行きたい外国人も旅行ではダメだけど、留

学だったら認めてあげるべきだとか。

 

甘く見てる人も多い!

 

休校要請は最初驚いたが、感染症対策の基本は閉鎖。

その危機感が私自身も希薄だった。

 

日本はそのあたりの甘さが露呈もしている。

緊急事態(とは安倍首相入ってないが)なので、ある程度耐え難きを耐えねばならない。

 

そして

不公平やら 不平等やらの 人権意識もここでは邪魔になる。

 

今回のパンデミックとは別の話にはなるが、

後進国に先進国に援助や支援が行く場合はこの人権、人道支援団体が曲者なのだ。

 

世界食糧危機の車の中に、食料ではなく、武器がたくさん入っていたのを見つけた記者が数日後謎の死を遂げた話など、枚挙にいとまがない。

 

今回の人権に配慮みたいな話は、感染をなめているところが多い。

 

見方を変えると、

今までの似非民主主義が是正されるかもしれないとも思っている。

人権意識は、文明の持つ不合理を是正する働きかとも思う。が、行き過ぎてしまった感は否めない。やはり、どこまでいっても文明の毒はあるのだ。

 

 

今回のことで働き方改革が進むなどという記事も散見される。

 

パンデミック自体は忌むべき話だし、犠牲になられた方を思うといたたまれない。しかし、それは別の大切な何かを教えてくれることもある。

東日本大震災の時のように。

 

「愛でいけるやん」

 

 

宮田運輸の社長の姿を追った映画。

aideikeruyan.tokinotsukasa.com

社員が起こした死亡事故から悩んだ末に

トラックにそれぞれの子供の絵をラッピングすることを思いつき、

子供ミュージアムプロジェクトとして推進している様子を描く。

 

そもそも利益度外視での経営の一端を見た。

 

社員の悪事を淡々と話したあと、笑う。ただただ笑う。

今の世間の常識では言っちゃあいけないと思うことを言っている。

そのあとの笑いに救われる。

 

本当の意味で

「愛でいけるやん」と思っているのだ。

 

私は頭と心と行動が別だったことに

よくよく気づいた。

 

 

「地元の意識を変えるため」

 
 
 
この動画は私の友人でもある斉藤久美子さんについてのもの。

www.youtube.com

立ち上げた旅行会社も順調な印象だったので、考えてみれば取材が遅いくらいのところだった。
私の働くいわなの郷へのツアーでアテンドしてくださり、たくさんの方を連れて来てくださった。
 
最初の衝撃から始まるのは大変わかりやすい内容だった。
曰く、
「福島には何もない」
 
旅行会社を始めるくらいなので、様々な魅力を伝えたくて始めるのに、そんな反応に驚いたはずだ。
それでも、あの手この手で 「地元の意識を変え」ていった!
 
地元の意識を変えるために 人を連れてくる
             海外の人を呼ぶ 等々
 
意識を変えるのが先だというところが、大いに共感。
そこからしかはじまらない。
 
今回のテレビ放映に勇気づけられた。
 
 
 

「本年の歌会始」



勅題「望」を賜った本年の宮中歌会始の儀の御歌を

「靖國」(靖国神社の広報誌)で知る。

www.yasukuni.or.jp

 

 

驚いた。

 

御製

学舎にひびかふ子らの弾む声さやけくあれとひたすら望む

 

皇后陛下御歌

災ひより立ち上がらむとする人に若きらの力希望もたらす

 

 

説明は不要とも思うが、私の感じ入ったところから。

 

陛下の歌った御製は、

子供達の歓声ほど希望はないこと。

こんな当たり前のことも、私の住む過疎の村にはなかなか少ないことでもある。

子供が将来を担う。上の世代は先にいなくなるのだから。

その子たちに何が残せるか

この視点は大切だ。

 

また、

自然災害の猛威を受け続けた。枚挙にいとまがないほど。

その地域それぞれで若者が力を発揮していることを皇后陛下はご存知なのだ。

私の住む地域は主に東日本大震災、さらに台風19号の影響を受けた。

それでも、若者は「立ち上がらむ」としている。

 

あえて言葉を足せば、

年寄りに頑張って欲しくない というわけではないが、

従前の利権に終始している人があまりにも多い。

その点、若者は利権に引っ張られていることは少ない。

私の解釈として、皇后陛下はそこを見抜いておられるのではないかと感じ入る。

 

 

最近の自然災害などは、

私からすれば

社会全体の変革を後押しするための

利権剥がしを進める部分もあるかと思っている。

 

被害を受けられた方には酷な言い方であることは承知している。

しかしながら、尊い犠牲の上にできる未来を

我々は受け入れていきたい。


来年は勅題が「実」だという。

来年は一つの「実」、果実、結実が見えるかもしれない。

 

「幸福とその葛藤」〜未来会議に参加して②〜

 

 

個人的なところでは、

懇親会の席で

「復興とは人の幸福をどうするかってことじゃないか」という趣旨のことを

とある宗教学者の方に言われた。

 

3年前、浜通り合衆国をつくるなら、どんなルール・テーマが欲しいかというお題に、「幸福」を考えることを話題にしたからだった。

 

そこは正直触れたくなかった。

なぜなら、自分に何もその答えもないから。

 

ただ、おぼろげながら影のようなものの塊を感じてはいる。

言語化はできていない。

 

幸福の形が決まっていた時代は、ある意味幸福だった。

昭和まではそれがあったと言っていい。

平成からは、会社が終身雇用・年功序列を廃止してしまい、いつクビが切られてもいい時代になり、会社での幸福を描きにくくなった。

消費経済が大量のアノニマスな(顔の見えない)個人を作り出し、それぞれが虚無の中で、それぞれの幸福感(観)を持つことを迫られる。

 

と考えていたが、私は昭和の頃からそんな幸福感を感じられずに来た。

家庭環境もあったが、幸福なんて非常に個人的な感覚であるので一つにはできない。

 

流行としても、幸福というワードは出てきて、

「幸福学」なるものが今はある。つい20年前は考えられなかった。

きっと、宗教学なり、哲学がそれをなんとなく包括していたのではないかと思う。また、それだけ幸福を言語化する時代になってきたのだとも思う。

 

一方で、幸福を語ることはカッコ悪い。

ただ、挫折して幸福に生きたいと思ったし、幸福とは何かがわかってなかった。

今でもそんなの分かるわけがない。

 

でも、宗教家でも正面切って語らない話を語っていくことも大事なんだと思う。

 

俯瞰してみると、

何か一歩前に進むことに躊躇している自分もいた。

 

最後に

ヒントにならないが、躊躇している自分の最近を書いてみる。

 

こういう話は嫌いな人もいるはずだが、こんな本がある。

bookmeter.com

病気は心を反映しているので、病気からのメッセージを受けて、生き方を変える機会になると。

 

足がずっと痛みがあった。

足は歩くため、前へ進むためにある。

つまり、前進への恐れがあるという見方。

「こだわりを手放し、喜びと共に楽しく進んでいくこと」を足は望んでいるのだと。

 

メッセージとしてそのまま引用すると

「あなたは、<今、この瞬間>の現実にしっかりと根づかなければなりません。宇宙をもっと信頼し、あなたの直感をもっと信頼してください。さあ、前進しましょう。思い切って進むのです。進むのに必要な手段だったら、どんなものでも使って結構です。他の人に軽々スク扱われて、そのままでいてはなりません。どうか決意して、今までの生き方とは別の生き方をしてください。あなたの隠された才能を発見するのです。人生に支えられていると信じてください。そうすれば必ず、人生はあなたを支えてくれるでしょう」

 

さらに

細かく言えば、上記の「足」は、膝より下のくるぶしまでのこと。

膝より上は腿。

こちらのメッセージも引用する。

「あなたの心の中にいるインナーチャイルドの欲求をもっと聞き入れて、自由に遊んだり、楽しんだりしてください」と。

 

 

確かになんか自縄自縛というか、味気ない生き方してた。

 

さらに、最近「事故」にあったことを思い出す。

罪悪感を感じていること、自分の何かを責めているということを示しているのだと。

詳細を省くが、「どこか休んではいけない」と思っていた。休む自分を責めていた。

事故を起こすと必然的に休む時間ができた。待たなければならない時間があるから。でも、休むためなら自分で時間を作ることができる。

 

情けない気持ちにもなったが、大切なことを教わった。

今すぐ何かなす必要などない。何かをする(DO)より、あり方(BE)の方が大切だ。何事かをなすための人生とも思い込んでいる。

 

自分の正直な気持ちを問いかける時間にしよう。

それが、「幸福」につながるものかもしれないから。