japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

これだ!



幸福経営学の前野隆司氏の講義には
驚くばかりの話が盛り沢山!

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やってみよう
ありがとう
なんとかなる
ありのままに

幸せの4因子が挙げられている。

これだ!

川内村炭焼プロジェクトの目指すものだ!

炭焼きが
できるかできないか
ではない!!!

やるかやらないかだ。

 

映像にもあるが、
従業員満足度は従業員のパワーマンスに比例しない。
でも
従業員幸福度は従業員のパワーマンスに比例する。

 

満足という部分でなく、

幸福と言う全体性を問う視点。

 

科学は細分化していくことで発展してきたが、

幸福学は真逆の全体性を統合することが必要とする。

 

 

つまり、分離から統合へ

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

今までの流れとちょっと違う。



この精神性を

組織に、社会にも波及しよう。

 

いわなの郷でも
Cafe學校でも
つなげられるね!

今朝は朝日がまばゆい!

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大事なことを教わった!


「いつも自分に×をつけてきた」



月曜からずっと疲労困憊。
土曜になってずいぶん回復したかと思いきや
帰ってぐったり。
雨の寒さも相まって疲れがまた出る。

それでも脳みそが動くようになった。
そうすると、否定的なことも考える。

それは、
こんなに疲れきる自分ではいけない。
疲れる自分には何か間違いがある。
きっと癒されていない過去があるから・・・

まあ、私も大変な家庭環境の中で生きてきましたから、
そう考えておかしくないんだって思ってきた。

発送が逆だった。

本当は
自分に×をつけたいから
そういう思考になっているんだ!


それでいいのか?


それでいいのか?

後悔しないか?




あ〜〜〜〜ちくしょう!

 
なんかバカバカしくなった。

こんなこと一生続けたくない!




一生懸命自分のダメなところ(×)を探して
それを改善できたら良くなれる
幸せになれる
って思いこんでた。

それってちがうよね。

×があっても
だめなところがあっても
幸せになれば良い。

幸せとは一切関係ない話だ。

どんな人も欠点はあるんだから!

もういいや。

やめたやめた!


そのままで
欠点を持ったままで
幸せになれば良い。

必死に自分の欠点を探してきたのは
もとをたどれば、母親にそうされてきたわけだけどさ。
その生き方を続けてきた責任は自分だ。

別に続けるか続けないかは、自分が決められる。

それって
習慣だ!

習慣も含めて
自分の生き方は 自分で決めよう!

43歳の自分

年だから出来ない!

それも言い訳にはなるし、同情も得られるかもしれない。
でも、幸せにならないとイコールだ。
 
出来ない理由は山のように転がっている。
一方で
出来る理由も山のように転がっている。
 
どっちを選ぶか?
 
後悔しないように決めよう。
死ぬ時にね。

「この世の解剖」   ジョン・ダン

昨日のブログ

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

肝心なジョン・ダンの詩の引用を忘れていた。

以下の詩は著者の執行草舟氏の抜粋である。

 

 

 

「この世の解剖」   ジョン・ダン  執行草舟・訳

そして懐疑が、新しき哲学によってあまねく行きわたり、
その故に、火と呼ばれし根元智はこの世を去りぬ。
我らがうちより太陽も大地も消え去り、如何なる英智をしても、
誰もそれらを何処に見出すべきか解りはせぬ。
心ある人は誰もがこの世の週末を告げている。
惑星しかり、恒星しかり、かつて知られざりしものが、
新たに見出されるが故に。心ある人は、この世が再び
無秩序で無意味な素材に還元されしを感ぜり。
全ての善きものが灰燼と化し、全ての善き統一はこの世を去りぬ。
全ての人道的な助け合いも、全ての係わり合いもこの世を去りぬ。
主従の絆も、親子の絆もこの世を去りぬ。
秩序と絆を喪いし者は、己のみを不死鳥のごときものと
錯覚せり。かく故に心なき者は己のみを感じ、
誰にも、また何も共感せず、かつそれを誇るに至れり。


An Anatomie of tha world.   John Donne

And new Philosophy calls all in doubt,
The Element of fire is quite put out;
The Sun is lost,and th’earth ,and no mans wit
Can well direct him where to looke for it.
And freely men confesse that this world’s spent.
When in the Planets,and the Firmament
They seeke so many new;they see that this
Is crumbled out againe to his Atomies.
“Tis all in peeces,all cohaerence gone;
All just supply,and all Relation:
Prince,Subject,Father,Sonne,are things forgot,
For every man alone thinks he hath got
To be a Phoenix,and that then can bee
None of that kindle,of which he is,but hee.

(“The poems of John Donne”,Oxford University Press)

「火の喪失の先に」


前回の続き

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 



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「友よ」から

ジョン・ダンの詩を取り上げる。

この本の中にあって、今までも読んできた。
でも、いっこうに理解できなかったのが
このジョンダンの詩だ。

私の心に
火が着きにくくなり、
私の体にも
火が着きにくくなるほど、
疲弊しきった時に

なるほど
これが火の概念か!

と突然理解できた。

中世から近代に移る時に、科学が台頭した。
それぞれを細分化して物質として理解しようとするこの思想は
その後現在に至るまで約400年間跋扈した。

その間、火は相手にされなかった。

火はエネルギーであるため、常に流動変化するのでとらえどころがない。
一方、変化しないものの方が扱いやすいので、そちらを中心に科学が築かれていった。

古代ギリシャから二千年引き継がれてきた総合的物質観としての「地水風火」の思想の中で、変化しない「地水風」ばかりを引き合いに出し、変化する「火」の概念を捨て去ってしまった。
人間も太陽も大地も全てが物質のかたまりとして見る科学の思想(近代の思想)を、中世の人間として寂しさ、悲しさを感じたのが、このジョン・ダンだ。

物質だけでなく、人間と人間の関係である、絆や愛、信と言うものもいくらでも断ち切れるものとなってしまった。科学は分割して考えるから。火の概念が消えたのは一つの象徴だ。

今につながる分断の基礎が出来たときだとも言える。



実際にはあるにも関わらず、
科学が火の概念を扱わないことで、人間の意識にのぼらなくなった。

人間は見たい現実しか見ない。

見えない人が増えてしまったとも言える。

逆に、見える人には見えている。

 

一方で、火の概念を求めている。

わたしだったら、ロックを求める魂がそれで。

サンボマスターの歌に炎を見出した。

 

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この困難の日々が聖地であり、
聖地を求める心が
黒が白になる。

 

japan-energy-lab.hatenablog.com

 

そう、

それが、


美しき人間の日々だ!


なお、ジョン・ダンの詩はこちら

 

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「アルセーヌがおしえてくれたこと!」

 


とうとうアルセーヌが ねを上げた。
着火しない。
それでもだましだまし走って来た。

もっと以前から大事にすることができた。


地元の車屋さんでは直せず、都会にあるディーラーへ。


アルセーヌは
我が愛車のこと。
調べるとちょうど10年。
特に苦しい時に支えてくれたのもアルセーヌだった。

もう走行距離も15万を越えたので
買い替えても何ら遜色はなかった。

でも大変大掛かりになりそうだけど、直すことに決めた。

私としては、アルセーヌへの罪滅ぼしみたいな気持ちだった。
大事にできたのにしなかったのは私だったから。

損得で考えたらバカバカしい話かもしれない。

で、今回代車がないと言う!
(車の業界を垣間見ることもできた)

自力で川内村までどう帰ろうか!

ある方に送って頂き、ことなきを得た。

 

その時普段は入らないお店にも

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あ!
そうだ!

車がなくても暮らしていけるのかもしれない。
考えたこともなかった。

そもそも
今の働き方に疲労困憊していた頃だったので、
生活、習慣、大げさに言えば、生き方を根底から見直そうとも思っていた。

塾でお話された原氏の言葉もあった。

 

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暮らしから仕事・社会をつくり直すこと。

 

改めてゼロベースで考えてみよう。


 

「黒が白になる」



一昨日のこと
疲れきって、何もしない時間を過ごす。

ただただ、疲れた。

ここまで疲労困憊したのも久しぶりだった。

何気なく手にした本はこちら

「友よ」執行草舟講談社

その中に
19世紀後半〜20世紀はじめにドイツで医師・作家として生きた
ハンス・カロッサの詩に目を奪われる。

詩「至福への確信」を最後に引用したが、
その解説に次の言葉がある。

 おのが魂が、真に聖地を目指したならば、如何なる艱難辛苦も愉快に変わる。
 黒が白になるのだ。

今の自分にも重なる言葉だった。


斎藤一人さんの言葉で

「過去を変えられる」と言うのがある。

過去の事実は変えられないけど、過去に対する見方は変えられる。
それでオセロに例えて、黒を白に変えるって話がある。

そこにもつながる話だなあと思った。

改めて解説の言葉を掲げる。

 おのが魂が、真に聖地を目指したならば、如何なる艱難辛苦も愉快に変わる。
 黒が白になるのだ。

 
訳者は「故郷」とされている語を「聖地」と訳した。

別のところでこうも語る。

 故郷に恋い焦がれ、憧れて生きるならば、そこは人間にとっての「聖地」となる。
 天国だろうと地獄だろうと、すべて人間にとっては聖地となるのだ。

聖地とは、こう説明されると感慨深い。

現代思想
言い換えれば
物質至上主義、科学思想、民主主義思想。
どちらがよくてどちらかが悪いと言う二元論に貶める。

この「聖地」の言葉の解釈を使えば、西洋にも一元論があったことを思う。

とはいえ、
「故郷」を「聖地」にする“何ものか”は、
生きる人間の主体性にかかっている。

梯子を昇るも、
飛翔するかも、
おのが判断。
その人の意志。
その人の主体性なのだ。

その主体性の発露は、現代思想ではわかりにくくなってしまったもの。
魂であったり、火の概念、エネルギーを生み出す“何ものか”だ。

目に見えないが、確実にあるものを信じて。

そして、

 愁うることなかれ、汝よ。

 
 
 



至福への確信   ハンス・カロッサ  執行草舟・訳

げに、汝は始原の光より生まれし者なり。
この世の仮装(けそう)を身に纏い、
汝はこの世に来たりぬ。
聖地を信ぜよ。愁うることなかれ、汝よ。

汝、聖地を信ぜよ。そは遍満せり。
汝よ、己(おの)が魂を感ずるなら、
漆黒の中(うち)にも燦たる輝きを見出さん。
汝よ、始原への道は膝下にある。
深き縁で結ばれし者の編む不可思議なる梯子を、
汝よ、よく愛でて、敢えて昇るがよい、
大いなる力が捉えるその日まで、
汝よ、ただひたすらに昇るがよい。
前人が未踏の深淵よ、
その深淵を垣間見て魂が震撼せば、
汝よ、飛べ。汝の飛翔は聖なる者とならん。
げに、聖地の光が汝を包み込むであろう。

「友よ」執行草舟講談社)より