japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

面白い!

 
 
さっき昔のブログを調べてみると、
この記事ばかりが多く読まれている。
 
理由は簡単。
検索で上位に引っかかるから。
 
これって知ってる人多いはずだから、書いてる人も多いはず。
だとすると・・・
 
 
 
 

「しんさいニート」

 

たまたま見たテレビに
その男 カトーコーキさんが出ていた。

 

カトーコーキさん

記事 上巻

南相馬のしんさいニートは東京で漫画を カトーコーキ(上) | WELTGEIST FUKUSHIMA

 

ブログ

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対比(コントラスト)として面白い。

 

私・関孝男は、   居場所を求めて福島県外から福島県内に移住した。

カトーコーキさんは、居場所を求めて福島県内から福島県外に移住した。

 

居場所の定義が違う。居場所を心の置き所としたらわかりやすいかと考えた。

私は、自分の心の置き所がなかった中で、心の置き所を探して来た。

氏は、自分の心の置き所があったけど、放射能の危険性を考えて、新たな心の置き所を探して来た。

 

まとめれば、

⒈表面上は両者とも逃げているが、私には居場所がもともとなかったが、氏はもともとあった。

2.放射能の危険性は正直言って誰もわからないが、私は心配ないと考え、氏は心配だと考えた。

3.私も氏もめちゃめちゃ苦労したけど、思わぬところで実は居場所を見つけた。

4.東日本大震災で問われた問題は、「自然対人間」の構図だと考えているのは共通。

5.氏は意識してないかもしれないが、実は福島の問題は分断の問題であり、現代日本の問題であり、現代の世界全体の問題として受け止めている。(多分)

 

 

まず5から。

 

そうなんだ。
完全に分断された人々。
これって見事なほどなのだ。

 

ここまで上手く分断構造ができてしまうと、気づかないふりする方が難しい。

 

 

今まではこの分断がわかりにくい形で使われて来た。それは分断統治という手法として。

古くは古代ローマでは「分割して統治せよ」と、統治地同士は仲が悪い方がいい。

 

例えば、日本と韓国が仲が悪い方が、都合がいい。

誰にとってかは明らかだから、詳述しない。

 

福島県のこの分断され尽くした状況は実は分断統治の延長戦でしかない。

実は沖縄の構造と似ているのも頷ける話。
よくよく身の回りを見てほしい。ここまで対立構造ばかりがあることを!


とはいえ、

これからの福島県の様子を見て行ってほしい。

この分断は必ず乗り越えられるから。

 

 

その上で、4。

全くその通りと思う方も多いはず。

 

そろそろ、当たり前の声に耳を傾けられるだろう。

はっきり言えば、利権が邪魔しているだけなので、そこが壊れれば解決も早い。
でも、これが難しいんだよね〜。

とはいえ、人間の共通意識 ユングの言う集合的無意識には確実に刻まれてる。
いずれ時間の問題と思う。

 

そして、1・2・3について。

本当にツイテいた。彼の姿に私は勇気が湧いた。新たな道がひらけそうだ。

そして、私も氏も福島が実は好きだということだ。

 

だから、カトーコーキさんと一度会ってみたい。

東日本大震災で問われた真の問題を共に解決したい!

 

そうま食べる通信に捧ぐ

以下は、そうま食べ通のグループページに投稿したものをちょっと修正しました。

私事で恐縮です。

そうま食べ通を送っている
埼玉の母が入院してしまい、しばし実家へ。
手術も無事終わり、昨夜川内村に帰って今日から仕事。

長男なのに移住してしまった宿命でもありますが、
もうちょっと両親とも元気かと思って出て行った私の浅はかさでした。3年前に父が他界、母も入院でこれから治療も進めることになり、あまりにも早くてびっくりしながらも、その時が来たことをかみしめています。

一方、川内村でいわなの郷で(良くも悪くも)可愛がって頂き、埼玉にいたら体験できなかった自身の変化もまた実感します。

母も元気になったら
そうま食べ通のイベントには出てもらう予定ですし、
私も来週末いわなの郷・親方の代理として参加します!

帰る前にかっこんだ味噌汁は、
実家の冷蔵庫にあった若松さんの味噌。

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ほんと疲れた体にしみました。力を頂きました。

紙面で若松さんの親子の葛藤を知り、どこにもあることだと知りホッとすると同時に、うちの親方はまだまだ優しい!もっと頑固に頑張って欲しいとも思いました。

そうま食べる通信から教わることが実に多いです。


今後の展開も楽しみにしています!


そうま食べる通信

http://taberu.me/soma/


https://www.facebook.com/soma.taberu/



田んぼアート

実家に帰って足を伸ばす。


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ドラマもやってるんですよね〜

陸王






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もう10年目なんですね〜


行田市でも行われていたのは知ってましたが、
実はこうやってみるのは初めてでした。

今は視点が変わりますね〜
また違った視点で見ることができた。

「逃げろ!」

 

 

実家に帰るのも久しぶりだった。

よく行った場所にふと行ってみたくなる。

 

涙ににじむ。

辛い日々を各所で自分なりに自分を癒してきた。

あの時の悲しみがよみがえる。

 

苦しかった。

ただただ

苦しかった。

 

じっと風雪をしのぐのがやっとだった。
よく生きて来たと自分をほめたい。

 

そして、あの頃があるから今があるのもまた間違いない。

あの時に考えていたことなど、形にもなりつつある。

こんなことを書いたら怒る人もいるだろうけど、

苦しみを抱えてどうにもならなくなったら

「逃げろ!」
と言いたい。

 

逃げることに罪悪感を持ち続けて、自分で自分を責めながら過ごして来た自分だから言いたい。

ずっと逃げ続けた自分を責めて、自分で居場所を失くしながら、時にふてくされながら生きて来た。

自分を責める正体は、自分の中にいた。

下の音声で言うと、「悪徳裁判官」。自分が自分を許せず、裁いて責めて来た。

それだから、相手に逃げ場を与えることもまたできなかった。

 

参照
地球が天国になる話 斎藤一人さん

 

www.youtube.com

 

一人さんの見方に励まされて来たし、

たくちゃんこと野澤卓央さんのコツ塾で必死になって実践して来たから、

私は変われた。(自分で言うのもおこがましいけどね)

今来し方を振り返れば、良くなる前兆だったとも言える。

幸せだ。

自分が変われただけでなく、その先にいた人との出会いもまたかけがえのないものだ。

 


時代による価値観の変化について一言する。

時代の変化を理由にするのは簡単かもしれないけど、

あらゆるものが極まってしまった。価値観が変わる時を迎えつつある。

東洋思想では、

陽極まって陰になる と言うからだ。

 

 

旧来の価値観が通用しないものも出て来て当然だ。

 

少なくとも、バブルの頃までは石にしがみついても頑張ることが美徳だったし、それで生きていけた。しかし、今は過労死はじめ必ずしも頑張ることがいいことでなくなっている。

 

時代の変化でなく、場が変わって来ていると捉えている。

背景として、物質的には一定の豊かさを享受する一方で、精神的には貧しい現実がある。

一言で言えば、グローバリゼーションの行き詰まりだ。

 

精神的には最も貧しい時代かもしれない。

それは、

何に死ぬかを見つけにくい、自分で見つけなければならない時代だからだ。

 

しかし、決して悲観はしていない。必ず良くなる。

 

現在の中東・朝鮮情勢は、大きくはグローバリゼーション終焉と対立構造の残滓回収として捉えている。アメリカ一極体制から、多極化に流れるので不安定要素もあるが、その先には良い時代が待っていると確信している。

 

 オホヤケ(公)の代が終わり、ウカラ・ヤカラ(家や族)の代になると言う方もいる。

 

 また、はやぶさ開発の糸川英夫氏は21世紀はバラ色だとも言っている。

 

AI・VR等の先進技術発展は実はそれらの動きに拍車をかける。

変化に伴う断末魔の叫びはある程度続く。利権は手放したくないから。
個人のレベルで言えば、
何のために死ぬかも、その時代になれば自ら見つけるものでなく、与えられるものにもなる。

話を戻そう。
今苦しみの際にいる人もいるはずだ。

それも永遠には続かない。

時には逃げて、時を待つこともしたらいい。

 

自分を変えるために私は、生まれ育った土地を逃げて来た。

そこでのご縁と、自分の必死の努力で、私は今は幸せだ。

逃げるだけ、
時を待つだけでは解決できない時もある。

その時にまた、手をつけてもいいではないか。

 

 

 

天に愛されてるから、生まれて来たんだ。

大丈夫だ。

 

あなたも、私も、どんな人も。
そして、大嫌いなあいつだってね。

 

「人間らしく」

 

 

 

母の入院で病院に行くと

 

つかれる

 

ふー

ホントこの疲労感は何なのだろう。

 

ある方に言わせると、

「生きるエネルギーを吸い取られるから」

妙に納得。

 

細分化された仕事の効率化を求めた状況も相まって、

人間らしく生きることの大切さをまた感じる。

 

日本エネルギー研究所なんていう

大げさな名前をつけてしまったが、

人間が本来持つエネルギーを生かして生きることは大切だと改めて実感。

 

エネルギー

 

これからの思考の補助線として有用かもしれない。

 

本来人間は人とのエネルギーのやり取りの中で生きている。

それは、いいものばかりではない。

それらのネガチィブなエネルギーも転換してしまえばいい。

 

とはいえ、現代のグローバリゼーションは合理化・効率化も頂点に達している。

人を人と見ない環境で働いている人々も多い。

 

過労死や過労自殺の問題だけでなく、

最近起きた自殺者を募った男や介護施設での殺人事件等、現代の闇を伝える事件も少なくない。

 

現代では感受性を殺して生きるしかないと思っている人も多いし、私はそう生きて来た。

その感性をそのままで生きられる今の幸運にもまた感じ入る。

(もちろん大変なこともあるさ)

 

具体的な場が必要だ。


全てポジティブに捉える必要は全くないけど、
母もだいぶ良くなって、びっくり。

家族にとっていい機会になる。というより、する。

 

「運命を愛する」

 

 

 

運命をただ憎んだ10代

運命に喧嘩を売った20代

運命に翻弄された30代

そして今42歳。

40代になった。

 

運命を愛する40代に

したい

 

39歳で父を亡くし
母が不調になった今。

 

しばし振り返ると

幸せしか出てこない。

今までの嫌だったこと一つ欠けても

今の自分はないし、ここ川内に来てから出会ったご縁も
ただただ幸せだ。

 

今までの嫌だったこと

それが

オセロの黒が白になるように

くるくると変わる。

 

斎藤一人さんのあの音声を何度聞いたことだろう。

 

www.youtube.com

 

運命を愛する。

運命を愛する40代

にする。