japan-energy-lab’s blog

日本エネルギー研究所です。福島県川内村に炭増すためにも、木材の可能性について簡単ニュースをはじめてみます。

「まさに現代ほど、貪りに冒されやすい時代はなかった…」



就寝前の読書を習慣にしている。
昨夜は、「生くる」執行草舟・著(講談社)に手を伸ばす。

 

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たまたま開いたページは、以前読んだ時には感じなかった感慨を呼んだ。

以下長くなるが、
「貪りについて」の章を引用する。

 人生とは、貪ることさえなければ、他人からいくら手助けしてもらってもよいのだ。…人から与えられた愛情や友情がわからなければ、そのものは貪る人間となる。要するに、それがわかるのか、わからないのかに尽きる。
 わかれば、人は貪ることはしない。そして、必ず恩を知る。親孝行が一番大切なのも、貪ることのない人間になるために他ならない。我々は人の情を与えられて今日があり、人にものを与えられて今がある。それがわかり、自分も他者に自己の持つあらゆるものを与える心がけがあれば、貪る状態から脱出できる。
 貪る状態さえ脱すれば、人間は必ず自立する。自立するとは、そなわち自己が他者や社会の役に立つ人物になることを言う。他者の役に立つとは、自分から与えるものが何かあることを指す。何も物には限らない。時間でも情愛でも、知識でも何でも良い。とにかく、絶えずでき得る限り、他者や社会に自分の持てるものを与えようとする心と行為が、貪る状態に陥らないための基本となる。
 ここで困ることは貪り続けている人間は、全くそうは感じておらず、自分ほど他人や社会のために働いている人間はいないと思っていることなのだ。…
 貪る人間の典型は、恩を感ずることなく成長する。…
 貪りは、与えられ続けていることをわからぬ幼児性から起こる。幼児性ゆえに、成長してしまえば、当の本人には、なかなか理解できない。しかし、貪りがわからなければ、悪が何かもわからぬ人間になる。
 貪りは心の中でいくら考えても絶対にわからぬ。貪りから抜け出し、一人前の人間になるには、実践しかない。最初は一回一回、他人から受けたものに対してけじめをつけるのが一番良い。まずはこれで充分だろう。昔から躾と呼ばれているものは、このけじめの訓練でもあった。それは限りある人生を、つつがなく生ききるための、基本的なことによって組み立てられていた。
 与えるものと、与えられるものが平衡を保つのが、自立した人間の絶対条件となる。…
 自己の人生の出発と執着を認識しなければならない。自己の出生の宿命をすべて受け入れ、よく理解し、そしてよく使う。自分の人生には、限りがあることを知る。自己の存在の本質を見つめるのだ。
 生(いのち)の本質が、自己の中で明らかになれば、自己の人生から貪りは一掃される。自己を見つめ、自分の人生の時間が、限られていることを本当に知れば、人間は自分の人生を慈しむ。自分の人生を慈しめば、人間は人生の大切さがわかる。自分の人生の大切さがわかれば、人間は貪ることから解き放たれる。
 現代は本当に大変な時代に差しかかっている。民主主義と科学思想の誤った理解のために、躾や恩は壊滅し、享楽主義が人生に限りがあることを忘れさせ、平等思想のために自己の出生の宿命を見つめなくなっている。これらの社会現象の中には、貪ることの自覚を阻害する要因ばかりしかない。まさに現代ほど、貪りに冒されやすい時代はいまだかつてなかったと言えよう。


思えば、
「自分だけ、なぜこんな思いをするんだ!」
なんて思っていた時は、すべて他人のせいだった。
自分は何も得られなかった。
しかし、人それぞれの固有の宿命、氏の言葉で言えば「自己の出生の宿命」を知れば、生まれてきた使命、なすべき仕事もまた実感できる。


とはいえ、まだまだ『貪り』に冒されている自分に気づいた。
(無意識的に)自分が見たい世界を自ら引き寄せてしまうからだ。
人それぞれに固有の生(宿命であり、使命)があり、それは民主主義と科学思想を背景にした平等思想や享楽主義とは全く別だと捉え直せば、自らの生は躍動する。

「物質的には豊かになった。しかし、心がここまで貧しい時代はない。」

そんなことを考えて生きてきたけど、それは自分の心が貧しかっただけだった。
自分が本当に見たい現実しか見えないのだから、その点で自分の内面と外面がつながっている。強い変革意識は、自己肯定できない弱さの裏返しでもあった。現状否定と高い目標意識、自己否定とは相関関係にある。心豊かに生きている人は確かに入るのが最大の証左だし、 

 機は熟した。あとは自分がいつ一歩踏み出すか。
 つまるところ、勇気を持てるかだけの話だ。 
 
それはつまり「今でしょ」の結論しか導きださない。

勇気のない自分だから、そうせざるを得ない現実にも直面できた。
また、思った以上に自分はタフだったことにも気づけた。

うまくできている。

現代に生を享けたことは、間違いなく意味がある。
偶然で説明するには、縁の一語で語れないほどの必然がそこにはある。
この時代の過渡期に生きる自らの幸運をまた噛み締める。
 
 

2017年8月4日(金)

東京の大学生のイベント向け写真撮影

キャンドルに貼る和紙にメッセージを書きました笑

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その後、川内村の特老と呼ばれる特養かわうち
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夏祭りで、焼きそばお手伝い。

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こんなのも

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今日は珍しく定時上がりで
かわうちの湯へ
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そして
YO-TASHIへ

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卓球大会かあ。

 




 

 

「リーダーが持つべき5つの覚悟」



リアルインサイト社の

「池間哲郎一日一言」
7月31日のテーマが表題だ。

池間さんの忌憚のない話は、胸を打った。
内容についてはここではふれない。

氏の講演会で確認してほしいし、
ネット上の動画でも知ることができる。

リーダー論は、ずっと言われていることだけれど、新しい視座を持つことができた。
裸一貫と言えば簡単だが、覚悟をしないとできないことだ。

あらゆる恐怖を乗り越えるのは、能力でなく覚悟しかない。

偶然の出会いから知った
リアルインサイトでは4サービスを購読している。
・ザ・リアルインサイト
・元気の学校
・インペリアルアイズ
・池間哲郎一日一言
大手マスコミで走ることができない本当の情報を提供されている。

独立系メディアとして応援している。
もちろん、その情報も鵜呑みにするのでなく、真偽を確認する目を持つことが必要。
インテリジェンスを高めることも同時に必要だ。

ドクスメの清水店長とのトークが小気味よい。

「縁」



2年前の8月、たまたま小幡さんと出会った。

 

休みの日に疲労困憊だったのに、吉川さんにわざわざ手伝いたいと言ったことから、

待ち合わせ場所の茂さんから行ってみろと言われて、

断ることもできたのに、のこのこ郡山へ。

大田さんが行く予定になっていたので、同行。

自分では知る由もなかった。

 

それは、東北食べる通信の車座座談会だった。

 

恥も構わず、その当時のつらい状況を話した。

かっこ悪かった。あの時の精一杯だった。

今思えば、

村を離れたいと思う2度目のピークでもあった。

 

その場にいた小幡さんは
「グランドにおりてこい」と話をした。

後から聞くと、高橋博之さんの話をしただけだったようだが、

その気持ちのこもった言葉に、ぐらぐらと心を揺さぶられた。

観客席の野次と一緒で、批判して自分だけ楽しようとしていた自分の姿勢・生き方を反省させられた。

 

小幡さんが土編集長を務める そうま食べる通信。

今回なんと私の職場、川内村・いわなの郷を特集して頂いた。

相馬地区だけでなく双葉郡含めた相双地域を守備範囲として当初から考えていたからで、その準備号を見ると「川内町」と記されて川内村のことは何も知らないことが一目で分かった。

 

確認のため、誌面の文章を見て驚いた。

こんなすごい文章で迫って頂いたと。

なにより、親方のことを知って頂くいい機会になった。

 

親方ひでさんも絶賛していた。

「小幡さんはすごい人だな〜驚いた。」
確認しないかもとの邪推は完全に外れたが、うれしかった。

 

そして、親方ひでさんと私がうつる表紙のキャッチコピーにまた涙した。

ただただ涙が流れて仕方なかった。

 

今回のそうま食べる通信2017年夏号は、

(私見ながらごめんなさい、博之さん)高橋博之さんを越えました!

暑苦しさだけでない。

その文章に魂が震えた。

 

 

 

写真は
その小幡さんに書いて頂いた色紙。

伝説?のアクシデント直前に筆を執って頂く。

 

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言葉はあの中村文昭さん。
講演でしきりに話をされる台湾の話。

台湾にはむしろ日本精神(リップンツェンシン)が残っていると言う。

この話は、

いわきの鈴木さんに講演音源を教えて頂いたからだった。

東北の地にこそ日本精神は残っているかもしれない。

最近はそう感じている。
中村氏の生き方自体も西洋的でない、日本的な道の拓き方だ。

 


リアルインサイトで知った
読書のすすめの清水店長は、現代日本は何に学んだらよいかについて。

一度目は、仏教伝来の頃 中国に学んだ。

二度目は、明治維新の頃 欧米に学んだ。

三度目は、現代 昔の日本人に学ぶときだと。

車座座談会は人が円形をつくって上下貴賤なく語る。

循環の輪も円を連想させ、どこか一つが強くなることでは成り立たない。

高橋博之さんは「都市と地方をかきまぜる」の著書名通り空間の循環も構想され、それを東北食べる通信で生産者と消費者を直接つなぐ実践もし、仕組みもつくった。

どれも円であり、縁だ。

そして、どうにも説明がつかないのもまた縁。

出会いの一つが欠けても、そうま食べる通信の誌面にいわなの郷が載ることはなかったかもしれない。

縁は必然であり、運命の輪、「車輪」を下支えするものだ。

時に運命に流されながらも、主体的に生きる意志のもとに、縁も生まれる。
言い換えれば、グランドにおりる覚悟あってこそ縁も生かせる。

中村文昭さんのこの言葉も

小幡さんの生き様を通して立体的に知ることができる。

 

「未来を拓くのは 俺とお前だ」



先日の廃炉フォーラムの表紙で

http://ndf-forum.com/rep/voicefromfukushima.pdf

メッセージを持った私の写真が一隅を灯した。
そのメッセージが表題だった。

全く持って直感で決めたけど、
直感には直感なりの理由があった。

サンボマスターに影響を受けた私の最初の出会いだった 
NHKトップランナー
あの山本太郎氏が司会をしていた頃のもの。


改めてその当時の映像を拾うと

トークの場面は出てこないが
ライブの様子は二つ出てきたのでシェアする。
https://www.youtube.com/watch?v=d4nQm6y_gbE

https://www.youtube.com/watch?v=P6bn-Xh4P2k

今見てもクレージーだし、あの当時の感慨が甦ってくる。
たまたまテレビで見ていて、
途中からビデオ録画したVHSは今どこかにあるだろうか。

余談だが、決められた通り生きなくていいって
この当時30歳くらいの私は学んだことを思い出す。
なぜなら、
サンボマスターのライブは常に
楽譜通り歌うことより
魂を爆発させているかに重きを置いていたから。


さて本題。

ローリングストーンズの「悪魔を憐れむ歌」(Symphony For The Devil)に

ケネディを殺したのは 俺とお前だ」

という歌詞が出てきて、それを聴いた当時のサンボマスター山口隆くんは
「俺がケネディを殺した気分になった」と述懐する。
また、目を背けたい事実にコミットすることがロックンロールと言っている。

そして、
この地域の未来をつくっていくことと廃炉とは不可分だ。
直接的にできることは少ないが、それでもできることは案外ある。
次世代に何を残すか。人任せにはできない。主体的な意志が必要だ。

どうなるか より どうするか

自分だけでなく、地域・世界の未来を切り開くのは、人間の意志だ!